PRINTERS'FLOWERS from エンスヘデ活字鋳造所



エンスヘデ活字鋳造所による花形装飾活字シリーズ60のアドビイラストレーターにてアウトライン化したデータを一定の条件の元で無償にて配布いたします。
配布条件は3500文字以上の文章で、テーマ「花形装飾活字」「印刷とデザイン」「印刷の可能性」のいづれかをお選びいただきprinters_flowers@fengfeeldesign.orgまで件名を「データ希望」にしていただき、本文には「題名」「各種情報(活動名やURL等)」「本文」を書いてお送りください。楽しい文章をお待ちしております。また、お送りいただいた文章は当サイトのLOGにて公開いたしますので公開する事も同時に同意していただく事になります。

■データの取り扱いについて
データはアドビイラストレータ10で制作されたものです。1つ1つのオブジェクトがアウトライン化されており、ある程度の拡大にも耐える程度のクオリティです。標準サイズをA5に設定しており最大はA3までを想定しております。ただし活字を組むという想定ですので使い方次第ではサイズの制限はその限りではありません。
本データは著作権を主張するものではありません。あくまで研究目的のものでありその利用の範囲を広げる事で花形装飾活字の認知とその深まりを促す事が目的です。

■配布時のデータ形式と流れについて
データ形式はアドビイラストレーター10のイラストレーター10形式にて配布いたします。形式やバージョン等については可能な限り対応いたしますので、お気軽にお問い合わせください。 データをお渡しするタイミングは文章をお送りいただきましたら、その後、お礼と感想と一緒にダウンロード出来る専用のアドレスとパスワード等を記載したメールをお送りいたします。

■文章について
文章と言ってもかならずしも完璧なものを求めていません。もちろん博学的で美大とかで提出しそうな難しいものでも大歓迎ですが、出来れば「可能性に満ち溢れた」ものであればもっと大歓迎です。確定的な内容よりも何かこう否定出来るところいっぱいなんだけれど「花形装飾好きだ−!」がいっぱいなのが凄く嬉しいです。気軽な感じでお送りください。ウキウキ出来るような文章をお待ちしております。

お問い合わせ、ご相談はお気軽にこちらまで、お待ちしております→printers_flowers@fengfeeldesign.org

■クレーンレトラによるデボス&エンボスfeat花形装飾活字のポストカード配布について
文章を寄稿していただいた方へこちらも配布させていただきます。
作品の解説はこちら→http://printersflowers.fengfeeldesign.org/?eid=807278



「僕の印刷とデザイン」

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 月岡正明/Masaaki Tsukioka
1999年学校法人専門学校東洋美術学校、グラフィックデザイン科卒業後
2001年学校法人東洋美術学校視覚伝達デザイン・グラフィックデザイン研究室に
専任講師として着任。在職中、第74回毎日広告デザイン賞第一部優秀賞を受賞。
現在東京デザイナー学院グラフィックデザイン科学科長。

Facebook http://www.facebook.com/masaakitsukioka

Twitter @TDG_Graphic
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日曜日の朝。といっても起床したのは10時過ぎであったが。今日は久しぶりの休暇だ。
私は東京のデザイン学校に勤めている。グラフィックデザイン科の責任者だ。カリキュラムを作り、講師を取りまとめ、ときに自分も授業を行う。いわゆるデザイン教育という現場に身を置いている。

いまは新学期であるから、ここ数週間は多忙を極めた。在校生の新年度スタートに加え新入生の受け入れの準備もある。教育の現場では最も忙しい季節だ。

桜も散り始めた頃、入学式もクラスのミーティングも終わり来週からはいよいよ新入生の研修期間となる。デザインの現場に臨む為の心得を教育する週だ。
毎年卒業生を招き新入生に対して講演会を行っている。これは持論だがデザインを学ぼうとする学生は数多くいるが具体的にデザイナーの仕事を知っているものはないに等しい。そもそもが裏方の仕事であり、普段生活している中ではなかなか知ることのできない物作りの仕事の中では匿名性の高い職業と言える。
私の勤める学校ではマンガ科やイラストレーション科もあり、グラフィックデザイン科とは違い職業のイメージがつきやすくて名もしれているクリエイターがたくさんいる学科が羨ましいと思ったものだ。
そんな思いもあって、新学期には必ず卒業生を呼び仕事の話をしてもらっている。デザインとその仕事をまずは知ってもらおうという意図だ。
今年は若手のデザイナーを二名お呼びしている。残念ながら私が着任する前の卒業生で面識はまだ薄い。更にこの週は卒業生以外にも様々なゲストを招く予定を立てている。

ここでひとつ問題があった。名刺がないのだ。数ヶ月前に切らし、新学期の多忙も手伝って発行の依頼もできていない。さて次週からかならず名刺は必要になるぞとわかっていたことなのだが頭を抱えた。自費で印刷に出すにも時間がない。その時ふと学生時代のことを思い出した。なければ作れば良いのだ。デザインだけでなく印刷も名刺サイズなら容易だ。学生時代散々やっていたことではないか。そんな思いと同時に自分がデザインするということから遠のいていたことにも気が付いた。これは反省せねばならないことだ。そんな思いが頭を駆け巡ったのが先日のことである。私はベットを出て支度をし日曜日の昼も間近となった時間に職場へと向かった。

二時間ほど電車に揺られ職場を目指す。休みの日にたったこれっぽっちの名刺を作りにいく為に往復四時間をかける。なんともバカらしいことだと思えたが、仕事に忙殺されデザインを忘れていた自分にはとても大切なことのように思えた。心なしかウキウキする。自分だけの秘密のミッションだ。
学校につくと、外の明るさとは対象的に暗くしんと静まり返った学内の様子に居心地の良さを感じた。同時にとても違和感をおぼえる不思議な光景だ。普段毎日過ごしている場所だが、いまは誰の気配もなく当然だがなにも稼働していない。時が止まったようなという表現はこういうことを指すのだなと一人思う。
自分のデスクにつきMacを立ち上げる。カバンからは水筒を出し、朝いれて来たミルクティーを口に含む。そしてIllustratorを立ち上げた。
自分がいままで制作したものはフォルダにまとめてある。6年前に作った名刺のデータを探す。階層が深く探すのに難儀したが確かにあった。名刺のデザインが画面に現れるとその当時のことも同時に蘇ってきた。そうだ、この名刺は30歳を機に転職しようとした時にデザインした名刺だ。これを使って就職活動をしたものだ。

今日はとにかく時間がないので、既存の名刺を作り変えることに決める。文字を選択すると使用書体はリョービの本明朝とBenboの二書体のみ。しかしよくみると電話番号だけイタリックになっていたり、住所はオールドスタイルで組まれていたりと中々細かい。肝心の名前は字送りを極端なほどひろげ文字そのものは大きくはないものの名刺の限られた空間の中で確かな存在を主張していた。一文字づつ選択すると、個別に小数点でQ数の調整がされ、1%刻みで長体平体がかけられていた。
当時の自分の意気込みが感じられた。名刺自体は白地にスミの文字がレイアウトされただけのなにげないものだが、そこには確かな熱があった。 細部を研ぎ済まそうとしているデザインだ。しかし細部しか見えていないデザインとも思えた。木をみて森を見ず。木どころか枝や葉や葉の葉脈まで見ようとしているデザイン。この名刺を作って6年が経過しているが今の私は森が見えるようになれただろうか。

様々な思いがよぎるなか、手際良く作らねばならない。いまの自分もこだわり出したら止まらないことを知っているからだ。
大幅に変えることはやめることにした。幸い書体の選択は悪くない。というか、いまだに好みが変わってないだけだろうか。当時にはなかった肩書きを書き加える。あの時に自分が求めた場所にいま到達できているのだろうか。
今回の名刺は公用なので住所や、連絡先を職場のものに置き換える。当然文字組はいちからやり直しだ。しかしそう時間はかからなかった。ほんの少しは目と判断力が成長したのかもしれない。
当時の自分のデザインは規則正しくガイドラインがグリッド状に引かれ、きっちりと規則正しい構成で紙面に配置されていた。しかしいまの自分にはどうにも居心地が悪い。揃えるところは揃えるとして、要所のみ揃えたのちにあえてズラすレイアウトをしてみることにする。置いた場所から数値入力で奇数分ズラす。大きさを変える時もあえて中途半端な数値にする。少し気持ち悪い。それが心地良い。
学校のロゴを入れようと思うがなかなか位置が決まらない。縦組みの名刺に対して横組のロゴなのだ。しかしここもあえてガイドを見ず、適当にぽんっと置くレイアウトを試みる。何度も何度もやり直す。でもきっとここが良い!って思ったらそれは失敗なんだと思い、まあまあのところで決定する。少しくらい意図のないものがあっていい。

ひとまず完成したので出力を行う。職員室備え付けのコピー複合機だ。デザインのチェック。肩書きと学校名を少し大きく、ロゴの位置を一ミリ調整。名字の一字をベースライン調整と赤をいれる。いずれもモニター上では気付けない細かい修正だ。データを修正し、再度出力でデザインをチェック。よし。これを本刷りの為の原稿とするため別ファイルに面付け用のデータを作る。A4サイズに9枚の名刺を面付け、あとで切りやすいよう断ちトンボをつける。名刺用の紙は学校にくる途中の画材屋で購入していた。A4サイズのファインペーパーだ。幸い希望に叶うものがあった。名刺は紙の持つ力が大きく作用する。

学校には輪転機がある。主に学生に配布するプリントを印刷する為に使用されている。大量部数の印刷にはコピー機ではなく輪転機でと決められているのだ。私はこの輪転機というものが好きだ。トナーでもインクジェットでもなく物体であるインクが紙にのる感覚。そのテクスチャーはとても艶やかで温度が感じられるのだ。今回の名刺の印刷は絶対に輪転機と決めていた。文字のみのスミ一色のデザインであるが、コピー機で印刷したものと輪転機で印刷したものとでは、出来上がりにかなりの差異が生じるはずだ。紙にインクがのる。ただそれだけのことだが、とても大切なことなのだ。これは細かいどうでもよいマニアックなことなのであろうか?いや、デザインの性格を左右するとても重要なファクターだと信じている。

さていよいよ名刺の印刷だ。輪転機を前に準備を行う。ひとつ心残りなのが肝心の原稿がコピー機による出力というところだ。細かい文字も多いので若干ジャギーが見えなくもないが今回はいた仕方ない。
輪転機とはいってもコピー機と同様のサイズで無論電動だ。原稿をセットし製版のボタンを押す。コピー機にはない行為だ。機械が稼働し音を立て始める。印刷が始まろうとしている。セットしたコピー用紙が機械に取込まれ試し刷りがされて排出される。ほのかにインクの匂いがする。刷り面はまだインクが乾いていない為触ることができない。製版が完了し紙をセットするが最初の10枚程度はコピー用紙に刷る。印刷の出来が落ち着くよう馴らすためだ。そして本場の印刷。ただの紙が、ただのインクが合わさり定着し、そこにある世界が生まれる。目的を持ってそこに存在する姿となる。刷り上がりの印刷物は取れたての果物のように瑞々しい。思えばデザイナー時代も校正刷りが好きでたまらなかった。
あとは名刺サイズに切る作業を残すのみとなった。作業場へと場所を移し断裁の準備をする。カッターと定規を出し断ちトンボに合わせる。定規は無論背中を使う。カッターを紙に走らせる。それほど力はいれなくとも充分に切れる。繊維が分断されていく感触を確かめながらトンボからトンボへとカッターを誘導する。定規を抑える方の手に力が入る。一枚また一枚と名刺が名刺の顔を見せ始める。しかしここで完成ではない。名刺サイズへと切り落とされた紙の切り口には、断裁したことで細かいシワが寄りエッジが平坦ではなくなっている。繊維が強制的に切り離されたことによる反動でそうなる。気にしない人は多いのだろうが、よく見れば見た目もあまりよろしくない。いつのころからだろう、私は必ず切り落としたあと金属製のヘラやスプーンなどでこのエッジを慣らすことにしている。学生時代に身についた小技がいまも体に染み付き自然と繰り返しているのだ。

ほどなくして名刺は完成した。文字だけのなにげない名刺だ。案の定、コピー出力を原稿にしたことで、文字のフォルムにジャギーがかかり少し残念ではある。しかしこの名刺だけが持つ独特の佇まいがそこにはある。これはデザインの完成度を指しているわけではない。ましてや自分のデザインの自画自賛しているものでもない。
細かい修正を経てそれぞれの最適な居場所を見つけた文字の集合体や、その文字が居心地良く存在する紙のテクスチャー、文字と紙をつなげ、目的を持った存在になる為に大きな役割を果たすインク、これら何気ない一つひとつのことが組み合わさりこの名刺だけの佇まいを形成しているのだ。言葉を変えれば存在感や、性格ともいえるだろう。
デザインとは数多くの選択肢を経て形成される集合の美である。一個人が休日になにげなく作る名刺でさえそうなのだ。
細かなことをこれでもかと積み重ね、トライとエラーを繰り返しながらもナリを形成していくという職能もデザインと印刷のいち側面であるといえるだろう。
完成した名刺を数分眺め、名刺入れにしまい、学校をあとにする。今日は休日なので残りの時間は家族とすごそうと思いながら帰路についた。



くるくる万華鏡 on チップボール feat. PRINTERS'FLOWERS "fuji" 版について


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processor from cosmotech (http://blog.livedoor.jp/cosmotech_no1/ )

版についてです。1つの版をくるくる回して0度、90度、180度、270度で4回押したんですが、箔押しだからこそのやり方だなあと感じました。インクだと、混ざってしまうので、まさに、それこそ重ねて行く状態を検証するにはもってこいの方法です。それぞれの版が様々なパターンで絡み合うように版の方も配置に工夫を凝らしてます。元々、「PRINTERS'FLOWERS "fuji"」は回転させた時に凄い良い感じになっていたので、どんなに複雑に配置しても成立するであろうと予想してたのですが、想像以上に今回の「くるくる」にハマってくれたような気がします。工夫した部分としては、複雑な部分と単純な部分を回転軸を中心に外側に波紋が広がるようにした事です。これもインクだと混ざってしまってごっちゃりしちゃうんですが、箔の重なる&被せる効果で、なんとも魅せてくれるものに仕上がったように思います。色が違うというか、物質そのものに変化がある事は、押せば押す程に絵に変化が現れるので、版が既に回転している状態、つまりは、円を描く状態にはしない事を目指しました。箔の扱いの難しい所でもあると思うのですが、押せば押す程に、それこそ色が増えるのではなくて、物質が増えていくので、先ほども書きましたが、階層が出来上がるのですね。階層が出来上がるという事は、一番下の絵が見えなくなるという事でもありますし、立体感が増します。ただ、それは幾つもの版を考えぬいて配置した場合によるもので、大抵の場合は、ぐっちゃりになります。それが良い意味でも悪い意味でもあるのですが、素材として高価なものですし、ハッキリ言ってもったいないという印象を持ちました。今回は1版を4種類の版を4回押すという方法でしたが、ある意味で基準だったのかなと感じました。一定の密度を持った版において、回転させつつ4回押すと、こういう感じになりますみたいな。でもやっぱ4回押したからこその、しかも箔だからこその表現だったのですよね。インクだったら、理屈的には2版でいけるんです。それも面白い表現にはなるだろうけど、この感じにはならないだろうなと思います。ボクはずっと、箔と対峙した時から、「被服」という視点で見てきました。重ね着をしていくというか、刷るというよりかは、乗せるという感じで。1つずつの箔でも力強い色ですし、表現としてもめちゃんこ良いんですが、やはり、この「くるくる」を見てしまうと、重ねる表現をもうちょっとやりたいなと感じてしまうような気がしますし、まだまだ可能性があると考えています。




■入手方法
この印刷物を配布したい役立てたいとお考えの方が対象となります。枚数上限は各種50枚(応相談もしくは提案いたします)ずつ。 件名を「くるくる万華鏡 on チップボール feat. PRINTERS'FLOWERS "fuji"入手希望」にしていただき「お名前」「ご住所」「配布目的」「その他、雑談」を<give_me_work@fengfeeldesign.org>までお送りください。
基本的には、ボクが面白い!と思った方にお渡ししますので、お断りする場合もございます。
その場合もキチンと納得のいくまでお返事いたします。

■入手方法その2
西田辺に直接取りにくる&雑談してくれる人にお渡ししたいと思います。
ご希望の方はお気軽に<give_me_work@fengfeeldesign.org>までご連絡ください。

※今回、加工をしていただいたコスモテックさんでも紹介していただいております。作品の詳しい解説はこちらを見ていただくと一目瞭然です。是非ご覧ください!
→(http://blog.livedoor.jp/cosmotech_no1/archives/51732004.html)













くるくる万華鏡 on チップボール feat. PRINTERS'FLOWERS "fuji" CMYKバージョン


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processor from cosmotech (http://blog.livedoor.jp/cosmotech_no1/ )

こっちの方が実は好評なんですよねえ。つまりが減法混色的なエッセンスを織り交ぜた箔の組み合わせになっているんですが、プロセスカラーそのものが目の錯覚を利用したものであり、基本的には微妙な差異はあるものの、絵の具を混ぜた状態を効率よく作り出した状態と言えるのです。という事は、特定のパターンによる掛け合わせを行えばそれが可能になる訳で、箔も恐らくは理屈的には可能なはずなんですが、実際やったら、どうなるのかドキドキな感じなんですが、普通に考えて、こういう感じで色んな感じの顔料箔が絡みあっているのも恐らく初めてなんじゃないでしょうか。モノトーンバージョンに関しても同じ事が言えるんですが、このCMYKに関しては、最後に黒を押すまでは、個々の色存在感が薄くなるような気がしました。一応、色としては減法混色の体を成していますが、絵の具のその場合と比べると、どちらかというと、加法混色に近いように感じます。と言いましても、互いに補色の関係にあるので、分けるには、いささかの疑問を感じますが、インクのプロセスの場合と比べるとやっぱちゃうのだよなあ。何が違うかは分かりませんが、重ねたときにそのまま混ざる事がなく、もちろんプロセスカラーの掛け合わせも同じだし、その原理とか色そのものも違う事は分かるんですが、色が全面に出ている割には、控えめな感じに仕上がったように思うのです。予想では、もっともっと色が全面に出て、黒の顔料箔が混ざるのかなと考えていたのですが、実際のところは逆に黒が最後キッチリしめた!という感じになりました。いや、充分なくらい色が全面に出てるんですがwそれでも、なんとも不思議な感じに仕上がったように思います。黄色の顔料箔がホントいい味出してるし、赤と青の組み合わせがウマい事に場を作っていて、ホントいいなあ。いやでも、個人的にはマジで網での掛け合わせが非常に見たいです。誰かやってくんないかな。。。てな訳でCMYKバージョン!本当にに素晴らしいものが出来上がりました!



■入手方法
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基本的には、ボクが面白い!と思った方にお渡ししますので、お断りする場合もございます。
その場合もキチンと納得のいくまでお返事いたします。

■入手方法その2
西田辺に直接取りにくる&雑談してくれる人にお渡ししたいと思います。
ご希望の方はお気軽に<give_me_work@fengfeeldesign.org>までご連絡ください。

※今回、加工をしていただいたコスモテックさんでも紹介していただいております。作品の詳しい解説はこちらを見ていただくと一目瞭然です。是非ご覧ください!
→(http://blog.livedoor.jp/cosmotech_no1/archives/51732004.html)



2012.03.07 Wednesday | 使用レポート11-20 | 11:52 | comments(0) | trackbacks(0) |



くるくる万華鏡 on チップボール feat. PRINTERS'FLOWERS "fuji" モノトーンバージョン


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自分のなかでは黒メタリックって結構、鉄板になりつつあるような気がします。箔押しでの大発明と言っても過言じゃない気がする。黒メタリックの表現の繊細さと、それにも増す力強さは、インクじゃ無理な表現だなと感じます。霧がかる。アヤトリ。万華鏡。それらのキーワードがハマる加工だと思います。今回、思い入れのある「Fuji」の使用というのもあって、回転軸を中心とした、存分に魅力が発揮出来る配置になっています。もちろん、箔押しの色んな重ねの把握と、箔の特徴を見る事の出来るデザインに仕上がりました。それと把握出来る程度と、把握出来ない程度の、微妙な範囲を施す事で、箔にも偶然性が発生するように心がけました。微睡みのような、抜かない版にし重なる版にする事で、箔の厚さ、重なりの表現を実現出来ましたし、なんと言っても、言葉で表現出来ないくらいに素晴らしい出来になったと思います。もし、これを網がけにして写真を表現出来たらとゴクリとします。最近の技術としては、白の部分も刷るやり方があるんですが、もし、この箔で写真という方法を構築してしまえば、作家にとって、印画紙に続く、デジタルで作品を作る為の大きな可能性になるような気がします。箔は、表現の生々しさが特徴です。崩れそうで崩れない。その儚さは今までの印刷とは違うものを感じます。ついつい、色の強さから、その強さだけを全面に押してしまったり、可読性を心配するところですが、この箔と付き合うという事は、少しベクトルを変える事で、無限大に表現が可能であると実証出来たように思います。今回の作品ですが、作家の方に見せる機会が多く、その感想が「手描きに近い」でした。たしかに版そのものも手描きや手仕事に近いように仕上げましたが、ボクも同じ印象でした。版であると同時に、その箔そのものの表現は手描きに近いのです。それがなんと、黒メタリックの方がそうであるという意見もいただいたのには驚きでした。顔料箔は下手な人が描いた感じになっているwとの事で、それは今後の課題になるかと思いますが。メタリック箔に関して言えば、イラレのデータの時点でのクセを大きく反映(つまり詳細に押せる)するので、そう感じたのかなと。まだ、顔料箔に関しては、まだまだ出来る事がありそうな気がいたします。


■入手方法
この印刷物を配布したい役立てたいとお考えの方が対象となります。枚数上限は各種50枚(応相談もしくは提案いたします)ずつ。 件名を「くるくる万華鏡 on チップボール feat. PRINTERS'FLOWERS "fuji"入手希望」にしていただき「お名前」「ご住所」「配布目的」「その他、雑談」を<give_me_work@fengfeeldesign.org>までお送りください。
基本的には、ボクが面白い!と思った方にお渡ししますので、お断りする場合もございます。
その場合もキチンと納得のいくまでお返事いたします。

■入手方法その2
西田辺に直接取りにくる&雑談してくれる人にお渡ししたいと思います。
ご希望の方はお気軽に<give_me_work@fengfeeldesign.org>までご連絡ください。

※今回、加工をしていただいたコスモテックさんでも紹介していただいております。作品の詳しい解説はこちらを見ていただくと一目瞭然です。是非ご覧ください!
→(http://blog.livedoor.jp/cosmotech_no1/archives/51732004.html)







「私のグラフィックデザイン」

市立豊中病院 医療情報室
看護師
染谷 裕

 グラフィックデザインとは、主に平面上に表示される文字や画像、配色などを使用し、情報やメッセージを伝達する手段として作成されたデザインのことと、ウィキペディアには定義されている。
 何から書き始めようかと頭をめぐらすが、これというキーワードは見つからない。そこで、今回要望された「家業である看板屋と幼少期の体験」についてから、書き始めることにする。  私の父親は、看板屋だ。叔父と一緒に看板屋をはじめ、私が生まれるころに独立し、現在も変わらず、看板屋を営んでいる。私と兄は、幼いころから、看板搬送用のドロドロに汚れた毛布にくるまって、シンナーの臭いで満たされた工場の隅っこで、横になって父親の仕事を見てきた。父の手は、いつもペンキと鉄粉にまみれていた。口数は少なく、黙々と働く父の姿は、まさに職人と呼ぶにふさわしい姿だった。
 看板といっても、小さな店先におかれた、木枠にブリキ板を打ち付けた簡素なものから、樹脂をプレスして作る大型のファミリーレストランのような看板まである。時代は変わり、今はLEDを使ったものまで、多種多様になった。
 幼いころの父のイメージは、ペンキで板に直接文字を書いていく、筆を口にくわえながら、少し離れて全体を眺めながら唸っている。普段の文字は、お世辞にも上手とは言えないが、ペンキと筆を持てば、ほとんど下書きらしいものがなくても、すらすらと、ゴシック、明朝、行書とかき分けた。いつも水平や、直角、左右のバランスに注意を払い、すべてのもののバランスを、逐一細かくチェックしなくてはならない、困ったところもあった。しかし、子供心に、世の中は直線と曲線でできていて、直線は水平と直角のルールに従っているのだと学んだ。自然に、自分自身の中で、直線を水平に保ち、直角を正確に測る身体感覚が身についた。これはまさに、父の英才教育だったのだろう。
 父の作り出す文字は、ほぼフリーハンドであるとは思えないほど正確で、絶対のバランスを保っていた。角の処理の仕方や、はらいの角度、とめの形。すべて、父の文字で覚えた。いつのころからか、父の見よう見まねでレタリングをはじめ、小学校3年生のころには、ゴシック、明朝は自由に書けるようになっていた。
カッティングシートが徐々に主流になって、紙にレタリングしてた文字をシートに張り、カッターで文字を切り出すようになった。このころから、母がカッティングシートの切り出しを担当するようになった。母は、もともと美容師であったが、私が幼いころに専業主婦となっていた。私も母と一緒に、文字の隙間のいらないシートを切り出す作業を、よく手伝った。一色のカッティングシートから、文字がくっきりと切り出されるのを見るのは、とても楽しい。この切り出し作業も、どんどん機械化され、Illustratorで作成された文字を、カッティングマシーンで切り出すようになった。そうなっても、この作業の担当は母だった。カッティングシートが主流になるにつれて、父が文字を書く姿を見なくなった。しかし今でもよく覚えている。父が書く文字を。私自身のデザインの基礎は、父の文字にある。白いブリキの板の上に、すらすらとペンキで書き出されていく文字達。くっきりと、そしてぽってりと塗り描かれていくペンキ。色のコントラストだけでなく、塗られた部分の筆が描き出す細かい描画。小さな気泡。カッティングシートでは作り出せない、手作業だからこそ生じる、若干の曖昧さが、デザインに人間味の暖かさを生み出す。私は、あのペンキで書かれた文字の、筆の動きをじっくり見ながら、文字を美しく見せるバランスを学んだ。線と文字にこだわりを感じるようになったのは、まさに幼少期の父の書く文字に影響を受けているのだろう。
父は、自分から私に何かを教えてやろうとすることはなかった。しかし、私がこれを作りたいというと、あれやこれやといろいろなものを持ってきて、作り方を教えてくれた。小学校のころは、アクリル板を文字の形に電鋸で切り出したり、箱を作ったり。木で椅子を作ったり、特別図面を引いたり、完成図を書いたりすることなく、思いつくままにいろいろなものを作り出した。正確な文字を書くという行為とは対極の、ただ自由に作りたいものを形にする作業だ。幼いころは、よく一緒に設置現場に出かけて行った。大きな看板をトラックに乗せ、夜中にガタゴトと大きな音を響かせながら現場へ向かう。大きな重機を使いながら設置する。現場にいるだけで邪魔になるのに、あれやこれやと手伝わされて、何だか自分も一緒にそれを作ってきたみたいな一体感を感じた。これといって何も手伝うこともできていないのに、アルバイト代をもらって、わけのわからない満足した達成感を味わったことをよく覚えている。
最近では、LEDを利用した看板の作成に力を入れている。ガソリンスタンドの入り口でよく目にする、ガソリンの値段を表示したLEDの立看板。父はこれを初めてLEDで作ったのは俺だと自慢している。どこまで本当の話かは分からないが、うちの主力商品になっているのは間違いがない。心斎橋のエルメスの看板を下請けで作ったというときには、家族みんなで夜中に心斎橋まで出かけていき、閉店したエルメスの前でビルの天辺に設置された看板を眺めている、変な集団になった。大人になって、気難しい父とはあまり話をしなくなったが、自分の仕事のことを語る時の父は、昔と全く変わらない。自分の信念と誇りを持って看板を作っているのがよく伝わってくる。
父方の祖父は、売れない日本画家だったらしい。私が生まれる前に亡くなっているため、私には面識がない。しかし、家には祖父が書いた馬の絵が飾ってあった。力強く、たくましいその馬の絵は、今にも抜け出してかけていきそうだ。父はよく、自分には絵の才能がないと話していた。確かに、父が絵を描いているところは見たことがない。看板の図面を引いていることはあっても、デザイン上の簡単な絵であっても描くことはなかった。昔、そばを食べてる子供の絵を描いてくれと、父に頼まれたことがある。注文を付けられるままに、てきとうな絵をかいたが、数か月後には工場の近所の蕎麦屋の看板に、私の書いた絵が描かれていた。
絵を描くこと自体は、昔から好きで、子供のころは暇があれば紙に落書きをしていた。水彩やパステルなどで色を乗せ、作品として仕上げることもあった。しかし、絵に関しては兄に勝つことができなかった。他においても、殆どのもので兄に勝つことはできなかったのだろう。何もない紙の上に、子供から年寄まで、多様な人物を描き出す。兄は今、漫画家をしている。特定の趣味を持った成人限定の。兄は高校中退ののち、大検を取得してデザイン系の専門学校で漫画を学んだ。漫画だけでなくデザインに関しても、自分の考えを熱く語る。かなり自分の好みに傾倒していると感じるが、作品に対するこだわりに関しては、とても共感するところがある。父とはいつも衝突しているが、やはり親子だと感じるほどに、お互いに自分の信念を曲げようとはしない。仕事に対するこだわりの部分になると、だれも止めれないほどにヒートアップしてしまう。デザインや、ロゴなどに対するものでも正面から意見をぶつけ合う。本当にこの二人は似た者親子だと感じる。私自身は、結局のところ、作品を作るという立場にいないのがやや離れた位置からの目線になるのか、少し離れたところから眺めてしまう。本心では、二人と同じようにモノづくりの立場でいたいという思いも持ちながら。
父の書く文字から、母の切り出すカッティングシートの文字に変わり、私の関心は、Illustratorに移った。簡単に文字を画面上に書き出し、簡単に伸ばしたり広げたり、微調整から、独自のロゴ作成までが面白いように出来上がる。見よう見まねで触っていても、うまくいかない。
Illustratorに関しては、いまだに母にはかなわない。母には、美術的なセンスがない。文字の間隔をどれくらいとればいいのかなど、考えることはほとんどない。しかし、職人としては逆にそれでよかったのだろう。父の持つ文字のイメージを母が言われるとおりに書き出す。文字について神経質なまでにこだわる父と、全くこだわりがわからない母が、二人で作るからこそ父が今まで手で書いてきた文字の代わりになった。
Illustratorを使うようになり、私自身、発想の幅が広がるのを感じた。紙の上に書き出すには、必ず紙のサイズという限界がある。しかし、デジタルの世界では、物理的な限界はないに等しい。手書きでは難しい直線も、直角も正確に書き出せる。デジタルは、私の中のデザインに対する欲求を満たしてくれるようになった。デジタルであれば、テキストを見ながら、自分の作りたいと思うデザインや画像を、自分の手で作り出すことができる。
Illustratorでいろいろなデザインを試行錯誤しながら作るうちに、自分の中にあるもやもやするものに気が付いた。それは、形をとどめない雲のようで、払いのけようとしても払いのけられない煙のようなものに感じた。Illustratorを使うことで、誰かの真似事を簡単にできる。でも、全部が誰かの真似事でしかなく、初めから自分自身で作り出したものがない。デザインだけでなく、紙に書く絵ですらすべてが真似事だった。結局、私には、人の真似事しかできないのだということに気が付いた。それはデザインや絵を描くことにとどまらず、音楽活動をしてみても一緒だった。幼いころから、ものを作り出すことの素晴らしさを知り、自分自身で何かを作り出したいと願っていた。心のどこかで、自分はそういう世界で生きていきたいと願えば願うほど、人真似だらけの自分の作品が嫌いになっていった。だから私は、そういったひらめきを自分の力で形にする人たちとは違う世界で生きる道を選んだ。
医療の世界には、ひらめきで作られるデザインは存在しない。すべてが計算されて、人間工学や、ユニバーサルデザインというような、科学的に平等で利用者優位のデザインでしかない。作成者の意図を伝えるために作られたデザインは、医療の本質に反するからだ。医療の本質は、患者などの対象の欲求にある。与えての意図を押し付けることは、言ってみれば悪になる。ある種、押しつけ的な美術的感性の入り込む余地はないのである。
また、実際に医療の中で働くとわかるのだが、医療にかかわるデザインは医療従事者が行うものではない。医療従事者は利用者であり、仲介役でしかないのだ。他人のデザインに囲まれた世界。自分自身は、ルールに従い行動すればいい、管理された世界。その中にいることは、美術とは対極の世界にいるということだ。ある意味、それは潔く、心地よい。
しかし、看護を行うということは、とてもデザインに似ている行為だと感じることがある。「看護をデザインする」、「看護はアートだ」ということがある。看護師が行っている業務のほとんどが、看護師以外の職種でも行うことができる。言ってみれば、看護師は医師や薬剤師、介護福祉士、栄養士などの業務の一部分を担いながら、1つの業務体系を形作っている。これらも、もともとは看護師が独自で行っていたことを、そのジャンルにおける専門性を高めるために、後になってから職種として独立したものもある。そのようなポジションで、看護師が看護学という独自の領域を保証するために、何を行ったかである。それは、患者を中心にした医療従事者のチーム医療を調整し、患者へのケアをデザインしたのだ。なんでもない、体をふくだけの行為に看護としての意味を持たせ、ケアとして提供する。そういったケアの積み重ねで、対象に働きかけたのだ。それだけでは何の意味もない、線や余白に意図を持たせてデザインする行為に、看護はとても似ていないだろうか。美術とは違う環境の中で、私は看護師というデザイナーになれたのかもしれない。
看護と出会うことで、いつのころからか心の中にあったモヤモヤしたものから、解放された。しかし、モノづくりへの欲求は抑えることができない。幼いころより、なんでも自分で作ることを両親から教わった。食べたいものがあれば、自分で作る。おもちゃがほしければ、自分で作る。そうやって私は育ったからか、誰かが作ったと聞くと、自分にだって作れるはずと思って、じっとしていられなくなる。だから、とにかく作る。人の真似事がとにかく得意だということ、物事を順序立てて考えるのが好きだということ、どのような工程で作られているのだろうと考えるのが好きだということ。すべてが、人真似手作りに向いている。私は、自分自身を「手作りマニア」というポジションに置くことを決めた。私はクリエイターではなく、ただの手作りマニアだと。1つのことを突き詰めていって、それで食っていけるほどの根気も、情熱もない。それでも、自分で作ってみたいという欲求は、あふれんばかりに持っている。その方向性は、食べ物から編み物、服飾、日曜大工まで幅広くなっていった。
作るということと同時に、デザインされたものの意図を読み解くという楽しみも見つけた。自分自身がそうであるように、すべての線には意味があるはずだし、形状や色の選択などにも、複雑に絡み合った意図が存在するはずだと考えながら眺めるようになった。それが商業デザインであれ、そこには意図があり、目的があるのだ。
こうやって、自分自身とグラフィックデザインのつながりを見つめなおしていくと、不思議な感覚を覚える。やはり、私自身はグラフィックデザインにかかわっていたいのだということ。美しいものは好きだし、きれいなものが好きだ。理路整然と整えられたものが好きだ。釈然としないが、どこか物憂げで何かを語りかけてきそうなものが好きだ。何かを伝えたいのに、鬱々と内に秘めて、今にも爆発してしまいそうなものが好きだ。今現在の仕事が向いていないというつもりはない。しかし、自分自身の本質は、やはりモノづくりの精神にあるように思う。その目線で、改めてグラフィックデザインについて考え直してみたい。自分自身の内側にある原点を見つめなおす意味を込めて。
私自身の、「デザイン」の原点にあるのは何だろう。それは、紙と鉛筆だ。いつもここから出発してきた。紙ほど包容力のある媒体はない。白い何も書かれていない紙。紙は、白く無限の奥行きを持っている。子供のころ、新品の自由帳の表紙をめくる、目の前に白くてきれいな紙がある。めくっても、めくっても白い紙。ここに、自分の書きたいものを書きたいだけかける。どんなものでも、なんでも、自分の空想にしか存在しないようなものでも、自由に書けるという途方もないワクワクが胸いっぱいに膨らむのを感じたことを思い出す。まっさらの自由帳に、最初の点を打つ瞬間。想像するだけでもドキドキする。この初めの一点を打つ場所で、この自由帳の性格や運命を決めてしまという感覚。その点に大きな力が宿っている瞬間。真っ白で何の意味も持たない紙に、自分自身の意図を込めた瞬間だ。その点の位置だけでも、そこに意図がありさえすれば、私はそれでもデザインと考える。
私自身の「デザイン」の原点は、紙と鉛筆だということは分かった。ならば、そこから何を生み出すのだろう。私にとって、もっとも書きやすいものは、文字だ。そう、父の書いてきた、人に見せるための文字だ。文字には当然文字としての役割がある。情報を伝達するための手段だ。しかし、それだけでなく、文字そのものの美しさや、文字を並べて画面構成することで生まれる美しさもある。私の好む文字は、理路整然と並び、我が物顔で画面の一番バランスのいいところに、あたかも自分以外の者にはその場所には収まれないのだとでも言っているように収まりこんでいる文字が好きだ。普段から書類の表紙に入れるタイトルの位置に、普通の事務員では考えられないほどの時間をかけて悩む。そのタイトルは、まさにその書類の顔であり、命のすべてだと思う。
白い縦紙に、右上1/4の中心より少し高いあたりに、さらりと縦書きで書かれたタイトル。これは想像するだけでよだれが出てきそうな妄想に駆られる。なぜ縦書き?なぜ真ん中じゃない?なぜ?なぜ?この心地よいなぜの余韻。縦書き文字には十分な余白と、物憂げに語ってくる不安定なバランスがよくにあう。横書きの文字は、どこか無粋で、どうしてもシンメトリーでないと落ち着かない。その落ち着かなさが生きる場合もあるが、その逆のひどいものも時々目にする。私自身の「グラフィックデザイン」の根底にあるものは、やはり文字なのだ。いや、文字のように白紙に線で描かれるものに心から惹かれる。そしてそれを基盤にして、すべてのデザインを見ているように思う。重心の感じ方、全体の濃淡のとらえ方。文字を画面に使用するなら、その文字が一番引き立つように場面を構成したいと考える。文字が伝える意図内容を補足できるよう、または協調できるようにそのほかの要素を調整配置したいと考える。文字には直接的に、情報を他者へ伝えることができる力を持っている。しかし、デザインの中でその力を最大限に利用するには、画面上の制限で困難な場合が多い。しかし、デザイン全体として情報を伝えるのであれば、言語情報だけにとどまらず、視覚的な情報を駆使して、意図を伝えることができる。情熱や哀愁、神秘性、直感的。感覚的な情報を伝えるには、言語情報よりもデザインのほうがすぐれている場合が多くある。言語情報では文字を重ねていかなければ、伝えたい情報を十分には伝えられない。また、文字では厳密な情報は伝えやすいが、受け手の想像力を必要とする部分が多い。それに引き替え、グラフィックデザインなどの視覚情報は、受け手の直感に依存する部分は多いが、感覚的な部分を直接的に伝えたうえで、寓意的な情報も意図的に伝えることができる。この相反する手法を合わせることで、より多くの意図的な情報を伝えることができるのではないだろうか。
私の最も好きなグラフィックデザインのジャンルは(ジャンルというべきなのかはよくわからないが)、本の装幀だ。受け手に伝えるべき情報は、本の内容とはっきりとくくられている。その情報を受け手に適切に伝えながら、興味を持ち、その上で、その本の持つ感覚的な情報も伝える必要がある。本という性質上、文字も利用される。タイトルは文字の持つ力を最大限に活用して、その本の情報を伝えるために作家が血涙を流すように絞り出した言葉だ。そのタイトルを生かし、本のすべてを受け手に伝えるためのデザイン。
私自身は、全く印刷やデザインを必要とする職種にいない。先にも述べたかと思うが、医療の突き詰めるものは、患者満足と効率化だ。患者満足というまさにサービス業の部分は当然であるが、国民の血税を医療費という形で利用するため、無駄の削減と業務の効率化は需要な課題である。その中には、芸術的要素ははいりこむ余地はほとんどない。しかし、デザインには人を引き付ける力や、人の興味を感覚的に刺激する力を持っていると私は考えている。高度化する医療の中で、医療従事者は業務に追われて多忙な毎日を送っている。質の高い医療や、安全を確保するために必要な情報共有は、重要な課題である。機械的で無機質な通知文だけで、業務連絡を行うのでは、関心を引かず受け手に伝わらない場合もある。情報戦略という観点からも、受け手に効果的に興味を持たせて、詳細な情報を知りたいと思わせるために、ポスターやホームページなどの場面でデザインの力を活用することは、効果的な方法だと考えている。医療現場という性質上、可能な範囲は限られてくるが、その範囲で、少しでも意図を持ったデザインを活用していきたいと考えている。




くるくる万華鏡 on チップボール feat. PRINTERS'FLOWERS "fuji"



design fengfeeldesign
processor from cosmotech (http://blog.livedoor.jp/cosmotech_no1/ )

くるくる、1つの版で回転させつつ、0度、90度、180度、270度で4回押してます。紙はチップボールを使用。毎度ながら、今回もコスモテックさんにお世話になりました。種類は2種類で、モノトーンバージョンが、黒メタリック箔、白顔料箔A-2(厚いやつ)、黒顔料箔、白顔料箔A-1(薄いやつ)の順番に押してます。それぞれの箔がそれぞれの厚さ重なりによって、彩りも含めてスンゲー美しく仕上がりました。もう1つがCMYKバージョン。文字通りCMYKの顔料箔を4つ押したバージョンです。箔という名の色の存在感を知らしめられる可能性の感じる一品になってます。とまあ、それぞれの解説はそれぞれでやるものとして、今回、実は無料の配布はいたしません(申し訳ないです…)。少しベクトルを変えたやり方で配布を考えています。それは、これを最大限に役立ててくださる方、もしくは渡す価値のある方に渡したいのです。というのは、視点として、ボクはボク自身の身なりなどはどうでも良いのです。ただただ、この素晴らしい紙と、素晴らしい加工が素晴らしい環境でシーンでたくさん使われる事を、単純に凄く願っているのです。それには、ここで無料で配布するよりも、これを役立ててくださる方の手元に渡った方が、効果が大きいと考えてます。なによりも面白い。ボクが、ボク自身がどうなるかよりも、それが、この印刷物をもっと素晴らしい状態にしてくれる人に多くの枚数を渡しますので、伝え広げて欲しいのです。そうする事で、全てが面白くなると思います。ボクが渡す事も面白いし、渡された人も面白くなる。それをまた渡された人も面白い。とくにシーンは限定いたしませんが、例えば、デザイナーの方がこれを多くの枚数をサンプルとして手に取った場合はどうでしょうか。加工はきっとコスモテックさんがする事になれば、紙がチップボールが使われる事になれば…etc。この方法はホントに果てしなく、ほんの少しだけど、デザインや印刷が面白くなる方法だと考えています。この視点にご理解をお寄せいただける方!お待ちしてます。ぜってー面白いからやろうぜ!

■入手方法
この印刷物を配布したい役立てたいとお考えの方が対象となります。枚数上限は各種50枚(応相談もしくは提案いたします)ずつ。 件名を「くるくる万華鏡 on チップボール feat. PRINTERS'FLOWERS "fuji"入手希望」にしていただき「お名前」「ご住所」「配布目的」「その他、雑談」を<give_me_work@fengfeeldesign.org>までお送りください。
基本的には、ボクが面白い!と思った方にお渡ししますので、お断りする場合もございます。
その場合もキチンと納得のいくまでお返事いたします。

■入手方法その2
西田辺に直接取りにくる&雑談してくれる人にお渡ししたいと思います。
ご希望の方はお気軽に<give_me_work@fengfeeldesign.org>までご連絡ください。

※今回、加工をしていただいたコスモテックさんでも紹介していただいております。作品の詳しい解説はこちらを見ていただくと一目瞭然です。是非ご覧ください!
→(http://blog.livedoor.jp/cosmotech_no1/archives/51732004.html)





「花形装飾活字」

市立豊中病院 医療情報室医療情報グループ
看護師  染谷 裕

私にとって、花形装飾活字とは、という文章を書けばよいのだということは分かっているが、いまだまとまったものがない。それは今回、職場で業務上の通知文を作成するに当たり、ペーパーなどでよく目にする、あの幾何学的でおそらく活字で作成されているあの美しい模様をデザインで使いたい、という思いからインターネットを検索したのが、私と花形装飾活字との出会いだ。そして、この美しい活字がどうしてもほしいと切望し、無謀にもこの文章を書き始めた。私は、市立病院に勤める看護師だ。あるきっかけで現場を離れ、電子カルテなどを扱う情報部門に移ることになり、広報担当者のウェブデザイナーと共にホームページの作成や院内掲示用のポスターを作製するなどの仕事も行っている。家業である看板屋を手伝ううちに、子供のころからIllustratorやPhotoshopなどを触って、デザインの真似事やロゴ作成を行ったりする機会に恵まれた。それのおかげで、活字の美しさや、線の作り出すデザインに興味を持つようになった。そのような今までの経験から、私自身が花形装飾活字について感じることについて書き綴っていきたいと思う。

 花形装飾活字を見て、初めに感じた疑問について、まずは考えてみたい。私はもともと、花形装飾活字というものの存在を知らなかった。今回、初めてインターネットで検索するにあたって、キーワードを入力する必要があった。おそらく装飾活字だろうという目星はあったので、そのキーワードで検索したところ、このサイトに出会うことができた。私はその時点で活字だという認識を持っていたのだが、一般的に活字は現代的に言えばコンピューター上で利用するフォントと同意語であると認識していた。だから、特定のキーボードのボタンをたたけば、それに相応するフォントが表示されるのだろうと考えていた。装飾フォントを利用するのであれば、まさにその通りといえるが、私のイメージの中にある花形装飾活字のデザインはそのようなものではない。では、いったいどのようにして活字としてあのように美しいデザインを構成するのだろうという疑問が生じた。
 しかし、それに対する答えはいたって簡単なものだ。それは、活版印刷の方法について考えればよいだけだ。短絡的に普段使っているコンピュータのワープロソフトをイメージしてしまっている時点で、その疑問は解消しないのだろう。活字と活字の間には必ず隙間があるという印象を拭い去ることができないのだ。しかし、活版印刷の場合、活字と活字に隙間はなく、ぴったりとくっつけて構成することが可能だ。行間すらもなくして、デザインすることも。1つ1つのパーツを並べて組み合わせていく。ぴったりと並べた時に、デザインがずれてしまわないように、線の位置が揃えられている。そして、組み合わせ方で無限の可能性を持っている。ワープロが文字を書く上で主流になってきて、使えないほどの機能を持っているが、活版印刷だから表現できるぴったりと並んだ感じや、小さなずれは再現できない。Illustratorなどのデザインツールを使えば、当然もっと高度なデザインは可能だが、活版印刷のようなアナログ感を作り出すことは難しい。ただ並べていく、ただ繰り返していくことで生まれるデザイン。文字が並んでいるのとは違う、花形装飾活字だからこそ感じさせる潔いデザイン性がある。  では、いったいなぜこんなにも花形装飾活字は美しいのだろう。直線、曲線。時には特定の造形。それらがシンメトリーに、アシンメトリーに並び、画面に流れを作り出す。デザインには、色を付けたりキャラクターを描いたり、多くの手法があるが、それらはすべて、受け手が感じるために用意された画面(平面だけでなく立体も含むのだろう)に、何らかのものを配置して、何らかの意図を伝えるのだろう。活字もタイポグラフィーとしてのデザインの側面を持つ。花形装飾活字は、活字の中でも特に装飾性が高く、まさにデザインといえる。私自身は文字に対して、とても強いデザイン性を感じる。文字は余白と線が作り出す、もっとも洗練されたデザインの1つだと感じる。花形装飾活字は、文字の持つ美しさを継承しつつ、さらに線の持つ流動性を拡張性を最大限に発揮している。
 線には流動性と拡張性があると書いた。線は画面上で緩やかにも俊敏にも動きを変える。曲線から直線、直角、交差。そしてどこまででも続く、広がっていく。線は自由だ。しかし、花形装飾活字には活字という限界がある。画面が続く限り無限に広がることのできる線も、活字という物理的な限界があるのだ。特定のサイズに凝縮された線。無駄なものをそぎ落とし、限りあるスペースの中で美しく見える余白と線のバランス。1つ1つの花形装飾活字を見ているだけでも、限りなく美しい。その美しい1つ1つの活字を並べていくことで、小さな枠に制限されていた線が、それぞれつながってより大きく広がっていく。花形装飾活字を並べることで、凝縮された線が光を放つように輝くようにすら感じられる。
 花形装飾活字の美しさを考えるうえで、もう1つ必要なファクターは、繰り返しだ。花形装飾活字には特定のパーツしかない。画面に線を描くのであれば、まさに思うがままに自由にデザインを紡ぐことができる。しかし、花形装飾活字でのデザインは、事前に設定されたパーツの中で、組み合わせて繰り返して配置することで構成される。逆を言えば、どれほど美しい花形装飾活字でも、1つのパーツのみを見るだけでは、その本来の美しさを語りつくすことはできない。シンメトリーのパーツやアシンメトリーのパーツを組み合わせていくことで、画面上で縦横無尽にデザインを広げていく。そのバランスを整え、画面の流れを滞らせず美しく流れるように調整することで、花形装飾活字の本来の美しさが発揮されるのだろう。
 特殊な形状の花形装飾活字を含め、花形装飾活字は単純なパーツのほうが美しいと感じる。単純なパーツを積み重ねて、全体の線の流れが美しく流れていれば、単純なパーツのほうが美しく見える。複雑に入り組んだものであっても、その流れが滞っていないということが絶対条件となるだろう。古典的な美しさを求めるのならば、シンメトリーに構成するほうが安定して、格式高く感じる。アシンメトリーに構成すれば、不安定で斬新的にも感じられる。同じパーツを使いながら、表現する手法や技術自体は全く大差はないのに、そこから紡ぎだされるデザインは、作成するデザイナーのセンスを克明に表している。古典的でセオリーな配置を踏襲しながらも、そこにデザイナーの斬新な新しい感性をそこに併せ持つことも可能である。古さの中にまさに輝く新しさを感じることができるだろ。
 花形装飾活字の美しさの最後のファクターは、余白にあるのではないだろうか。活字内の余白ではなく、画面全体を占める余白。花形装飾活字だけにとどまらず、活字、タイポグラフィー全体を通してもいえると考えられるが。今までも繰り返し語ってきたが、花形装飾活字の美しさは余白と線の美しさだ。そして、それらの小さなパーツが合わさって作られる作品を、より美しく輝かせるのは余白の力だ。デザインにおいて余白は重要な要素だと学生時代に教わった記憶がある。書き出される色や線の部分だけでなく、画面全体の余白の存在も含めて、全体をデザインとするんだということだった。まさに配置とバランスである。活字の場合、基本的に考えれば、余白となる画面上に、必要な文字情報を配置して、必要な情報を受け手に伝える。活字自体に特定の意味もしくは音があるため、それだけでも特定の情報を伝えることが可能だ。しかし、デザインとしてのタイポグラフィーでは、さらに余白と活字という素材を利用して、活字の持つ意味や音というものだけでなく、視覚的な感覚や感情などの付加情報を加えて受け手に伝える。文字を文字として認識するには余白に識別しうる境界線で、特定で共有された図形を描画する必要がある。それを受け手が、既存の共有認識から文字と認識して意味や音を認識する。タイポグラフィーには、他のデザインとは違う、特有の共有認識が必要ということになる。そして、それを認識するためには、活字部分と余白部分の確実な分離が必要であるといえるだろう。活字の美しさにあるのは、余白と文字の明確で確実な分離と、徹底的な平面だ。たとえそれを立体造形としたとしても、根底にあるのは確実な平面上の描画だ。果てしなく広く真っ白な余白で埋め尽くされた画面の上に、くっきりと黒く滑らかな線で描かれた活字。そしてそれを美しく装飾する花形装飾活字。まさに極限までそぎ取られた機能的な活字の美しさと、耽美で装飾的なペダントリックな花形装飾活字。
 花形装飾活字は美しい。つらつらと持論を並べ連ねたところで、その美しさを語りつくすことはできない。



「印刷とデザイン」

MORE than WORDS 沖直美
グラフィックデザイナー。
主な仕事は、雑誌、CDジャケット、チラシ、書籍、DM、名刺のグラフィックデザイン。
info@morethanwords.jp

 誰でもそうかもしれないが、最初の打ち合わせを特に大事にしている。そこにはきっとクライアントの率直な希望がたくさんある。言葉や文字や写真になっていない何かを感じとることは大事なことである。私はデザイナーなので、打ち合わせを行ったときにクライアントにどのようなものを作りたいかをまずたずねる。そしてその作品がどうなっていってほしいのかをたずねる。最終的な形はさまざまで、その方法は印刷もあれば、自宅のプリンターでよいこともある。印刷物として多くの人の手に渡るよう、世に送り出したい場合や、ある特定の人たちへ向けてのメッセージ性を強くしてさらに金額も安くしたいという場合など。そのコンセプトや最終目的に向けての考え方を聞くことはデザインの方向性やこれからの広がりにつながっていく大事なプロセスだ。デザインをしようと思えばどれだけでも案がでてくる。でもアプローチがたくさんある中で、どの方向性、どの切り口がよいかを提案するのかがデザイナーの醍醐味ともいえる。私はその各ゴールへ向けて考え始める。

 私がまだ修行中で師匠についていたころ、「最終を考えてデザインをしろ」とよく言われていた。私はそのころ「印刷にいれるには画像の解像度が高くないといけないし、アウトラインもかけられないといけないからだろう」くらいにしか思っていなかったが、デザイナー歴が長くなってくると彼のその一言がどれだけ大きな意味を持っていたかがよくわかってきた。技術的なことは大事だし基本として知っておかなければならないけれど、どうやらそれだけではないようだ。それは「最終によって作り方も考え方も変わってくるし、デザインも変わってくる。やれることの幅が広がる。だからデザインのゴールは絶対印刷でなければならないということはない」ということだといまでは理解している。美しさからいえば、印刷が一番だと思っているのでぜひこれをおすすめしたいけれど、その印刷を設定するにもいろいろある。写真の再現性を求めるか、風合いを求めるか、その両方を求めるか、和を求めるか、洋を求めるか、金属的なニュアンスを求めるか、柔らかな質感を求めるかなどで、用紙の選択が変わってくる。手に持った肌触りも違ってくる。用紙の種類だけでなく、厚さでも質感が変わり、伝わるイメージも左右する。だから単に部数が多いから印刷でというわけにはいかない。「印刷とデザイン」は単純そうにみえて、しっかり考えてあげないといけない間柄なのだ。デザインは視覚の要素が大きいけれど、実際は触感もあるし、見た目で音はならないけど、CDジャケットを見ただけでどんな音楽が奏でられているか聴こえてくるくらい感じることもできるし、直接は臭わないけど、匂いを感じるくらい雰囲気のあるデザインというのもあるし、食べたくなるくらいおいしそうなデザインというのもある。五感を刺激するデザインだと、クライアントのコンセプトを少しでも多くの方に届けることができるのではないか。そしてそれを助けてくれる、一緒になって盛り上げてくれる印刷。インクも特色にするか、カラーにするか、モノクロにするか、カラーだけど特色に見えるような仕上がりに刷るか、用紙によっても発色がよかったり、沈んだり、美しいラインで仕上がったり、鈍いラインをあえて選んだり、考えることは多数である。そして、もうひとつ。安いからという理由で選ばれてしまうインクジェットプリンターだが、こちらも安さだけではないメリットもある。最近のインクジェットはきれいになって、印刷では多額の費用がかかりそうなものまでインクの色も備えている。インクジェットだといつでもやり直しが可能だし、納期も気にせず自分のところで何度でも出せる。その気軽さで、同じデザインで色を変えたり、またはデザインを何種類か作ったり、紙を変えたりして、数種類のものを作ったりしても予算内におさまったりするので、遊んだ提案をすることができる。デザインを考えるにあたって「遊べる」ことは大事なことだ。

 私が今回「花型装飾」にお世話になることになったのは五感でいう「聴覚」を感じたからだった。パイプオルガンのオルガニストの方のCDを作ることになり、ご本人にお会いした。ふんわりと何かに包まれているようなきれいな方だった。なんだろう、雰囲気といってしまえば一言だけど、オーラが柔らかくてでも筋は一本ぴりっと通っているような印象を受けた。そして演奏曲を拝聴したわけだが、美しい。。と思った。美しく凛としていて、でも柔らかさがある。彼女の見た目と演奏がぴったりで、ああ、この美しさをデザインで出せたらと思ったのである。前から「花型装飾」のことは知っていて、雑誌の特集になってもいるその本も持っていたので、それを見ながら「ああ、この装飾をCDジャケットに使えたらどんなに美しいものになるだろう」と探し始めた。素材として売られているのかと思っていたけど、売られていなくてがっかりしつつ、それでもしつこく探していたらfengfeeldesignさんを見つけたのだった。この花型装飾のように、繊細で柔らかで美しく凛としていて周りを包み込みながら伸びていくような、ぴったりの演奏が入っているCDジャケットにしたいと思い、使用させて頂いた。ジャケットはプラスチックではなく、厚めの紙ジャケット。立派な厚手の紙ジャケットは特別感を感じさせてくれる。美しいオルガンの画像もきれいに再現されるよう用紙を選択した。グロス加工をして、発色も強度もバッチリ、触った感じもつるっとしていて気持ちがよい。表紙には、オルガンの写真に花型装飾が伸び、CDに録音された美しく伸びゆく音たちが見えるようなイメージでデザインをした。色はオルガニストの方の私のイメージ。凛とした美しさが映える、そしてオルガンの色にも美しく映えるブルーに、落ち着いた黄色の装飾だ。印刷に入れるときには、出力見本をつけるのだが、それに近く出してもらえるよう、印刷会社にお願いをした。印刷は見本次第で色の再現が異なってくるから、慎重にしなければならない。デザイナーのイメージとおりに、印刷を仕上げてもらうには細心の注意が必要である。花型装飾は表紙だけでなく、香りが漂うような何かを感じて頂ければと中面にも使用した。臭覚を刺激することになるだろうか。CDを聴こうとCDを外したトレイ面に花型装飾をあしらった。CDをはずしても、花型装飾があると美しい、嬉しい。見て聴いて大きく息を吸い深呼吸したくなるような清々しい作品はきっと多くの人を癒してくれることだろう。人間が「きれいだなあ」と思うとき、頭の中は活性化され、癒され、元気になるのではないかと思う。そして花型装飾はそれを見事に成し遂げていると思う。このCDジャケットの話がでたとき、もちろんインクジェット印刷ということもできたし、普通のCDにすることもできたが、やはりそこはコンセプトありき。大事な重厚なタイトルとともにいつまでも永久に大事にしていただけるよう特別感のある紙ジャケットになったのだった。

 「印刷とデザイン」はお互いに切磋琢磨する関係がよく似合う。もっともっと!を再現できるゴールデンコンビだと思う。印刷はデザインをいかすことを考えながら、デザインは印刷でいかに表現されるかを考えながら、作品を世に送り出すことができれば、どんなに幸せなことだろう。きっといつまでも大切にしてもらえる作品となるだろう。

 この度、花型装飾に出会えたことはこれからの私のデザイン生活に潤いを与えてくれると思う。花型装飾を用いたデザインをするという意味でも広がりがあるし、なんといっても見ているだけできれいだなあと思えるのだから、私の頭の中は深呼吸をしているのだ。この場を借りて、お礼を申し上げます。fengfeeldesignさんありがとうございました。



楽しい印刷物理科学実験 パチカ&OKフロート feat. 花形装飾活字 パチカ編



パチカは竹尾からでている、ポリオレフィンを原料にしている紙です。その紙に熱を加えた版で圧を加えるとフィルム的に圧縮されて透けるという代物です。基本的には先に書いたOKフロートと同じなのですが、パチカはOKフロートよりも原料となる SWPを多く使用していて、OKフロートよりもパチカの方が透ける効果は大きいメリットがありますが、印刷適正は犠牲になっているというデメリットもある紙です。透過した部分はまるで蝋が溶けたような、なんだか不思議な感じを醸し出しています。雪解けのようなそんな感じです。OKフロートは「紙」を基調としたというイメージでしたが、このパチカは原料の「SWP」を基調としたというイメージになりますでしょうか。他のサンプルを見てみても、反応が大きく、「透ける」特徴を大っぴらに使うのなら断然、「パチカ」かなという印象です。ただお固い仕事には使えないのかなと、紙としての機能を若干、放棄してる、もしくは、たしかに印刷適正が良くなさそうなので、設計図通りキチンと作りたい!という時には避けた方が無難かもしれません。ただ、紙のブランド立てとしては、大胆でかつ可能性の幅で言うと、使えるシーンが想像しないところから発生するのは間違いは無さそうな予感です。デザインとしてはOKフロートと同じものを使用しています。もちろん加工はコスモテックさん。知り合いの職人さんに見せたら、十中八九みなさん「職人泣かせの版でやったなあ」と言われますw。OKフロートもパチカも押したら形めっちゃ変わるから位置合わせとかホント現場の判断と技術に委ねられるので、それこそ、ちゃんとそういうコンタクトの仕方をした方が扱うには良い回答なのかなと思います。大量消費的な印刷所を否定する訳ではありませぬが、せっかくデザインするなら、コスモテックさんみたいに話を聞いてくださるみたいな所に頼むのは、とくに今回の紙みたいな特殊なものに関しては、大切になるような気がします。単に、コスモテックさんに頼もう!という話をしているのではなくって、例えば近所に設備と腕の良い印刷職人さんって居るはずなんですよね。ちゃんとそういう人達と話して、切磋琢磨する事で、印刷の世界が広がるというか、単に仕事をする以上に、話しをするという事をした方が絶対に良いものが出来る!という意識にさせてくれるのは、パチカくらい、覚悟決めた紙じゃないと出来ないと感じます。もちろんそれはOKフロートにも同じ事が言えると思います。ここまで新しい紙となると、デザイナーの姿勢が問われるのだよなあ。やってくれる所を探すより、お願い出来る所をちゃんと技術として踏まえててっていうのが、もし、こういう感じの紙が、これから流行して出て来た時に、重要になってくると思います。なのでね、何が書きたかったかというと、このパチカはそれくらい、なんか新しい感じがしたのです。ちゃんとデザイナーと印刷の現場の人が話すべき時が来たのだなあと、正しいデータ以上にそれが必要なのかも。以上、パチカでした。

こちらのポストカードサイズの「楽しい印刷物理科学実験 パチカ&OKフロート feat. 花形装飾活字」を無料にて配布させていただきます。

■入手方法その1
この印刷物を配布したい役立てたいとお考えの方が対象となります。枚数上限は各種20枚(応相談もしくは提案いたします)ずつ。 件名を「楽しい印刷物理科学実験 パチカ&OKフロート feat. 花形装飾活字入手希望にしていただき、「お名前」「ご住所」「配布目的」「その他、雑談」を<give_me_work@fengfeeldesign.org>までお送りください。
基本的には、ボクが面白い!と思った方にお渡ししますので、お断りする場合もございます。
その場合もキチンと納得のいくまでお返事いたします。

■入手方法その2
西田辺に直接取りにくる&雑談してくれる人にお渡ししたいと思います。
ご希望の方はお気軽に<give_me_work@fengfeeldesign.org>までご連絡ください。

※今回、加工をしていただいたコスモテックさんでも紹介していただいております。作品の詳しい解説はこちらを見ていただくと一目瞭然です。是非ご覧ください!
→(http://blog.livedoor.jp/cosmotech_no1/archives/51727198.html)








2012.02.09 Thursday | 使用レポート1-10 | 16:07 | comments(0) | trackbacks(0) |