花形装飾活字を愛でる その70

花形装飾活字をアウトライン化する、 トレースするという事について。 本来は、版を彫る、または雛形に流し込む(元は彫るか…)事で作成されるものを、 コンピュータ、 今回は限定的にアドビのイラストレーターというソフトを使って、 ベジェ曲線という当時は学生さんが考えた理論を使ってトレースを行いました。 現在の最新版のソフトにおいては、 画像のサンプルさえあれば、 機能としてのアウトライン化が可能であり、 トレース作業は自動的に、 完璧とまではいかないにしろ、 一時期的、 急場凌ぎには充分なクオリティを得る事が出来ます。 ただし画像のサンプルへの依存が前提となります。 その中で今回の場合は、 機能としてのアウトライン化は行わず、 あくまで1ポイントずつを策定し、 画像サンプルについても、 それを再現ではなく、 あくまで参考として扱いました。 実質的な期間としては8ヶ月かかりました。 まず、 これついては技術であって、 賛否両論あると思いますが、 それはひとまず置いといて、 今回行った作業としての結果を書いていきます。 サンプルについて。 サンプルは、 アイデア325号付録に収められた印字を使用しました。 サンプルとしては、 おそらく原寸ではなく、 サイズについても充分な大きさと質であったとは言い難いものでしたが、 個人が手に入れれる資料としては唯一のものであると感じました。 これについては、 今後有力な資料が見つかり次第それに伴った修正を加えていければと思います。 トレースの方向性について、 上記で記したように、 画像のサンプルとしては不十分でしたし、 ましてや、その雛形を手に入れるのは至難の業(というか無理)なのでしょう。 ですので、 作業としてはまず、 線を知らなければなりません。 版の欠けている部分、 左右対称である場合にはその平均を(決して同じではない)、 また、印圧による擦れや滲みについても考えなければならないと思います。 その元の印面をいかに想像しうるかが、 トレースの完成度を左右します。 そうしていく内に過去の失敗もまた露呈します。 それが意図であったかは定かではありませんが、 明らかな失敗はこちらでこっそり直してあげる事も可能です。 そしてトレースの方向性です。 いかにその線を紡いだとしても、 その想像しうる印面をそのままアウトライン化するのか、 理論として彫る上でのロスを無くすのか、 それか独自の視点で丁度良い着地点を見つけるか…。 これについては、 花形装飾活字をトレースする上で一番重要であり、 その作業者にとっての分かれ道のように思います。 今回について選択した着地点は、 いかに想像に徹した印面を生かすかということです。 花形装飾活字の美しさはその印面にこそあるというのは、 事前にその印面のロスを無くす方法でトレースをした際に気付いた点でもあり、 同時に印面そのもののロスは全てではないが意図されたものであったと、 気付いた事が大きいように思います。 これついては以前にどこかで書いたのでどこかに載ってるので、 興味がありましたら探してみてください。 という事で、 印面に配慮する事を着地点にしたのですが、 これついても、 実は意図があって、 最終の到着地点はやはり印刷にあります。 活版かオフセット、個人レベルでしたらインクジェットかレーザーでしょうか。 もしくは印画紙にも有りえるかもしれない。 これは全て三者三様ですが、 紙にインクが乗ります。 それがアナログかデジタルかは分かりませんが、 その最終である紙にインクが乗る瞬間は物理的であり、 技術的な差異はあるものの、 一定のランダム性、 印圧による擦れや滲みに似た現象が、 同じように起こりうるものであると考えているのです。 元はデジタルなデータであっても変わらないのです。 その発想を元とすれば、 トレースの方向性はおのず決まってきます。 それは、 「版」を作るという事を、 コンピュータ上で行うという事です。 これも以前に書きましたが、 モニターを介した紙面を完成とするのか、 紙にインクが乗った瞬間を完成とするのかでは、 大きなイマジネーションの違いが生じるという結論からのものです。 つまり、 印刷所にはグラフィックデザイナー不用論も、 ここからのものなのですが、 それは置いといて、 コンピュータは極上なシュミレート機です。 「再現」を行う上では天才的な能力を発揮します。 そのせいで、 コンピュータ上で行われている作業が現実であると、 錯覚してしまうのもまた事実であり、 実際に現在に使われているデザインソフトの多くは、 それを利用した仕組みになっているのは、 異論の余地のない現実であると言えるでしょう。 グラフィックデザインにて、 コンピュータを扱う上で何をシュミレートするか、 というのは大きな課題です。 その中で今回は、 花形装飾活字という選択肢の元、 その印面、 すなわち「版」をシュミレートする事にしたのです。 作業について。 作業は単純です。 トレースの方向性として「版」をシュミレートする事は決まっていましたから、 予めの解釈の中で想像しうる出来るだけの、 鑑識と知識を身体に染み込ませて、 後は「彫る」作業をコンピュータ上で行えばいいのです。 つまり8ヶ月かかった理由がここにあります。 本来、 線をなぞるだけなら2ヶ月、もしかしたら1ヶ月で終えれてたのでしょうが、 「彫る」訳ですから、 ポイント数にしてエゲツナイ数字になったのは、 思い出しただけで吐き気がします。 続く。



花形装飾活字を愛でる その69

花形装飾そのものは、 時代に関係なく使われてきましたし、 今もドンドンと作られてます(どちらかというとノスタルジー的ですが)。 花形装飾活字に言えば、 テクノロジーの点から言っても、 時代遅れのようです。 単に装飾であれば、 今のコンピュータのテクノロジーを使えば、 容易に手描きであっても複製が出来、 活字なんて体裁を取らなくて、 その役割を担ってくれる事でしょう。 やはり、 時代の中で、 花形装飾活字無くなる大きな一手でもありましたし、 しぶとく使っていくというのも何か違う気がします。 銀版をもう一回彫るくらい意味の無い事だと思うのです。 もちろん、 それに可能性があるのだとすれば、 否定をするものではありません。 写真の存在も、 花形装飾活字を衰退するには充分なインパクトでした。 というのは今まで書いてきました。 今回は、 その中で花形装飾活字という可能性が、 どこにあるのか解説出来ればと思います。 大きな問題はシーンがそれを求めていない事にあります。 それを扱うシーンが限りなく少ない事でしょうか。 もしかしたら印刷の本場のドイツあたりなら考えられなくはなさそうですが、 カリグラフィーにしろ、 そのポジションはメインでないのは明らかです。 メインは写真でありイラストなのでしょう。 その可能性にグラフィックデザインは集中しています。 伝達という意味では写真は格好の手段ですし、 同時に装飾的でもあります。 イラストが印刷で使用出来る時点で、 活字のその役割を影を潜めるのは偶然ではなかったはずです。 テイストという言葉でもくくられてしまいそうです。 ノスタルジー。 それが基本にあるようにも思います。 書体、 であれば、 その世界に広がりがあります。 ノスタルジーではなく、 現代的なアプローチな発展が見られます。 常に変化があり、 伝達手段のメインとして、 明らかにその利用は無くなる事は当分なさそうです。 まさにそれを彩る争奪戦に負けちゃった花形装飾活字、 だからといってそれがまったく機能しないという判断は、 いささか急ぎすぎです。 最初にも書きましたが、 重要なのは、 扱うシーンが少なすぎる事にあるのです。 で、 ここでグラフィックデザイナーの存在が鍵を握ります。 技能の在り方は別の話題になりますので置いといて、 シーンを作るのはグラフィックデザインの役目なのです。 それをキチンと使えるようにする作業が、 今のグラフィックデザイナーには求められていると言い切っていいと思います。 絵を作る事がグラフィックデザインだと勘違いしてしまっている現状が、 もちろん絵を作る事は大切な1つな技能なのですけど、 それだけだとグラフィックデザイナーたる視点としては、 足りないのですが、 そういう事を書いていると、 本題からドンドン離れていくので、 これも置いといて、 そうなのです。 シーンの作成させすれば、 花形装飾活字そのものは素晴らしい機能を持ったものですから、 すぐにでも実用的に使えるのです。 ただ難しいのは、 その時間の在り方の違いです。 形式ともいいましょうか。 写真であれば、 撮影すればそのフォーマットを簡単に変える事が出来ます。 イラストも描いてしまえばいいのです。 が、 花形装飾活字はそうはいきません。 一度作ったフォーマットはそう簡単に変える訳にはいきません。 これが、 現代において、 置き去りにされた大きな要因であると考えています。 そして何よりも、 そのフォーマットを作成する事は非常に難しく、 「時間」がかかります。 書体の作成にも同じ事が言えますが、 違うのはその利用は非常に限定的であるという事が挙げられます。 「時間」の概念のミスマッチが、 今の現状を生んでるとしても、 文章のその整理性に関していえば、 今まで散々書いてまいりましたが、 その能力は他の追随を許さない出来になっています。 時代は整理性よりも伝達性を選んだ結果が今の状況であり、 それと平行して、 グラフィックデザイナーの在り方も、 その画面の伝達性に集中する事になります。 それが今のグラフィックデザインとして成り立っている訳です。 この時代性を変化させてまで、 花形装飾活字に可能性を見出そうという事ではありません。 何回も書きますが、 重要なのは「シーン」なのです。 グラフィックデザインとしてボクらが認識しているシーンとは別に、 違うグラフィックデザインを構築してしまおうというのが、 今回の書くべき可能性です。 今回のダウンロードで臨むべきは、 別に花形装飾活字が活躍する事ではありません。 それが世間的に大きな事になっていく事ではないのです。 その世界の広がりには期待はしていますが、 核心の意図としては実は別にあります。 それはまた今度。



花形装飾活字を愛でる その68

パターンについて。 版を構築するには、 役割や状況に合わせて特定の装飾を選ぶ事になります。 たくさんの種類では選ぶには四苦八苦するので、 前回まで4回に亘って紹介しましたパターンのように、 少なくする事で選択の余地を軽減する事が出来ます。 選択の幅が狭まる事で、 構築のクオリティアップにも繋がりますし、 オリジナリティでさえパターン化する事が出来るので、 装飾活字を扱う際には非常に重宝な存在です。 というのは前回までの講釈でして、 今回はもう少し突っ込んで書きます。 パターンの構築という視点をどこに持つかというのは重要です。 今までこちらの解説では個々に「組む」という視点でのみ書いてきましたが、 パターンの構築の理由は実は「組む」というく利便性のアップだけでなく、 紙面を構築する際の共通性を持たせる役割があります。 例えば50ページくらいの紙面を構成する場合に、 1ページ毎がバラバラのパターンでは統一性に欠けます。 また逆に1つだけのパターンだとそのランダム性にも欠けて、 なんともつまらないものになります。 そんな時に、 そのページの構成を踏まえてパターンを予め決めておき、 共通のテーマや、 その内容に併せて、 パターンを変えたり同じにしたり、 単に装飾を彩るのではなく、 1つのアイテムとしてパターンを構築していく事で、 よりエンスヘデ活字シリーズ60の花形装飾活字を使いこなせたといえます。 これ程までに小規模から大規模までに対応している装飾活字はめずらしいと思います。 版の形状や特性を知り、 組み方の基本を踏まえて、 より深く個々の追求を行い、 独自のパターンを作り、 それらを駆使して紙面を作っていく、 なんとも教科書のようですが、 何もマニュアルもないのに、 全部教えてくれます。 使えば使うほどにその自由度が増し、 まだまだ底を知るところではないのがわかります。 そして1つの仮説が考えられるのです。 これは制作者は予見していたのではなく、 実は単に奥がない限りなく深い自由のプールを作っただけなのではないでしょうか。 それを今こういう解釈で見ているだけなのかもしれません。 ですが、 当時は産業革命の直球ど真ん中の時代でもあり、 印刷技術が飛躍的に伸びた時代でもあります。 多量の紙面の印刷物が大量に刷られる状況は容易に予想出来たはずです。 限りなく現代のグラフィックデザインの考え方に近い発想で作られているというのは、 書いて参りましたが、 だとすれば1900年代のデザイン創世時代の基礎がここにあったという事になります。 で、パターンの話に戻ります。 次に、 このパターンのやり方を今のグラフィックデザインに置き換えて考えると、 いかにその発想の元に対して追及が成されていないのかがわかります。 故にそのパターンの構築というところまでいけてないのである。 もしそのパターンの構築があるとするならば、 「文字」という事になりよります。 「文字」という自由のプールにはどっぷりつかる事は出来るでしょう。 それはつまり基本なのです。 文字だけではその紙面の整理性には限界があります。 わかりますかね、 つまり、 花形装飾活字と文字活字とそれに付随する装飾絵で構成していた時代よりも、 現在のグラフィックデザインは、 その1つの紙面に対する「元」がなってないんです。 現代における技術的な開放については先日書いたばかりですが、 1つのポスターでさえその追求は浅はかであると、 大きな口で言いたいと思います。 技術の開放は結果の確認を安易なものにしました。 いろいろ試せます。 それを否定するつもりはありませんが、 フォーマットの部分を我々はずっと作り続けている状態なんです。 もしくは、 定められたフォーマットでしかそのパターンを追求していない訳で、 フォーマットの浅はかさが、 現在のグラフィックデザインのレベル低下に拍車をかけています。 フォーマットを皆が頑張って作っているのにも関わらずオリジナリティを確立出来ないのは、 それが自由のプールではなく、 限られたパターンでしかそれを構築出来ない事にあります。 フォーマットにはオリジナリティは存在しません。 なんといってもフォーマットですから、 それらを構築するパターンにこそオリジナリティが存在すると考えています。 ではグラフィックデザインとは何か。 これについては話題が変わるので次回以降に置いときます。 アイテムによってそのパターンのあり方を考えるという方法。 是非試してみてください。



花形装飾活字を愛でる その67


パターンDです。 最後のパターン。 正直、なんじゃこりゃー!!という感じです。 非常にくどいくらいにゴツゴツしております。 種類も多く、 きっと正方形の大きめのやつたちは、 上手いこと使い分けてくれ的な意図がプンプンします。 ブロックのように繋げる、 旧来の装飾活字の特徴を前面に押し出したものなので、 その用途でいうと、 バリエーションを豊富にしたという感じなのでしょう。 新しい試みのABCで、 従来の方法論のDなのでしょう。 そういうDです。



花形装飾活字を愛でる その66


パターンC。 いろいろ工夫を教えてくれるパターンです。 枠をメインに置くもよし飾るをメインに置くもよし、 工夫次第でどうにかなっちゃうパターンやと思います。 大きい版が無いのも特徴です。 大きい版が無いので、 小さい紙面向きでもありますし、 逆に大きい紙面の場合には多くの版を埋める事が出来、 版そのもののイメージよりも、 組んだときのイメージが先行します。 複数の紙面で構成する場合には、 例えばAとCの2つを使ってみたり、 Cに対して何か別の版を加えたりしてみるのもいいかもしれません。 パターンに対しても、 ルールを与える事で複数の紙面がある場合の工夫にもなります。 と、 これについては後々に別にまた深く書きたいと思います。



花形装飾活字を愛でる その65


続きましてパターンB。 これは前回と比較するとわかりやすいですね。 枠的な囲むという要素よりかは、 そういうのはスタンダートなものだけ揃えておいて、 「中心を取る」事をメインにチョイスしたラインナップなってます。 装飾もあっさりしていて、 どちらかというと、 その中心に添える情報に対してのアプローチを主に置いているようです。 とくに解説する事は前回に書いたので無いんですが、 パターンAとは違うという事と、 その固有のパターンは意図であって、 その目的であるという事、 で何よりも、 それは基本的なパターンであるという事です。 パターンにはいっぱいヒントが含まれていて、 自分独自のそのパターンを作り出す事へのきっかけであるというのは、 ふまえて考えていけば、 この装飾活字を自分のものにするきっかけになると思います。



花形装飾活字を愛でる その64


この装飾活字には、 4つのパターンが設定されています。 このエンスヘデ活字鋳造所シリーズ60は種類が多く、 その用途が自由であるがゆえに、 実際に使う場合、 その選択が非常に難しく、 好きに使うのが一番なのですが、 そのバランスを保つのは容易ではないと思います。 使う内に自分の上でのセットが出来上がっていくのですが、 それに至るまでには時間がかかりますし、 正直マンネリ化は避けられないでしょう。 そんな場合にはこのパターン設定は非常に役に立ちます。 予めバランスの保たれた装飾がチョイスされており、 なによりも選択の数が狭まる事で、 使用者の負担が軽減されますし、 これに対してアレンジを加える事が出来、 容易にそのオリジナリティを形成することも可能になります。 今回はそのパターンAをご紹介します。 凄くスタンダートです。 華やかさと整理性のウマイ具合をチョイスしています。 花形装飾活字の基本的部分を抑えた構成なので、 「枠」として使うのがいいように思います。 まずはこれで組んでおいて、 自分色に染めてみるのもいいかもしれません。



花形装飾活字を愛でる その63


モチーフを織り交ぜます。 とうとうここまできました。 今までのはこれに繋ぐためのプロローグでもあったのような感じです。 エンスヘデ活字シリーズ60の花形装飾活字は、 装飾性よりも整理性に富んだもんであるのは重々書いて参りました。 で、組む事で初めてその美しさが発揮されるのですが、 もちろん単に組むだけでも素晴らしくなるのですが、 そこへモチーフという概念を持ち込むことで、 より美しくなります。 装飾そのものは無機質なものな上に、 装飾の形のバリエーションが豊富で、 どちらかというと枠に収まらない自由度の高さが覗えます。 それぞれが描く装飾に対するイメージの違いが、 組んだ完成形との違いを産むので、 使いこなせばこなすほどに、 そのオリジナリティが確保される事は間違いないでしょう。 これ程までのランダム性と、 使う側に予知させない装飾は、 おそらくこの版を制作した時点で計画されていたものであると考えられます。 本当に凄いのは、 これを作った人間です。 どれほどまでに、 印刷と向き合い装飾と向き合い、 本当の本当に全てに配慮し、 花形装飾活字への可能性に賭けていたのか等、 想像するだけでスゲー!!ってなります。 これほどまでに完成された花形装飾活字を見た事がないし、 これこそが花形装飾活字という名にふさわしいものなのでしょう。 それが、 モチーフを織り交ぜる事で、 その懐の深さを知り行く事で実感出来るかと思います。



花形装飾活字を愛でる その62


線を意識してみましょう。 今までは、 版そのものの曲線や直線への記述はしていましたが。 今回は、全体を見通しての線を意識してみましょう。 これについては、 意識するかしないかで、 いわゆるウマク組めるか組めないかが決まってきます。 全ての版の「内部(外側ではない)」には線が敷かれていて、 そこには直線と曲線が設定されています。 これらを利用する事で罫線を使用する事なく、 同じ効果を得る事が出来ます。 曲線も設定されているので、 罫線よりも柔らかく、 そして何よりも言わずもがな装飾が素晴らしいという具合です。



花形装飾活字を愛でる その61

現在における印刷価値の低下はめまぐるしいものがある。 名刺で言えば某所にて無料で印刷出来るのが有名ですが、 平均で1000円くらい出してしまえば、 自分の情報が入ったオーダーメイドな印刷物が出来るのである。 おかげで、 誰もが印刷物に対して手軽に触れる事が出来るようになった一方で、 街頭ではチラシが配られ捨てられている。 事態は深刻なのだ。 このまま印刷物はゴミのような扱いをされ続けてしまうのでしょうか。 部屋を見渡せば印刷物が目に入らない事はない。 街に出ても印刷物に出会わない日があればめずらしいくらいだ。 ここまで印刷の技術が普及しているのに、 このようなお粗末な状況が続いていいものでしょうか。 個人的な活動として、 「千代紙な名刺」というのがある。 これはまさに今の印刷物ゴミ扱いに対する抵抗なのです。 横暴にもこの名刺は100枚で1万円を越える価格になっている。 市場の平均価格の10倍程の値を設定している。 が、 これについては、 デザイン料、図案のコスト等は一切関わらせていない。 あくまで印刷で発生するコストのみを計算した価格にしているからで、 デザイン主体ではなく印刷そのものの価値を元に戻す為の、 新しい提案、 印刷主体の印刷物、 当然と言えば当然なのだが、 先ほども書いたが、 それが出来ていない現在へのささやかな抵抗なのだ。 「千代紙な名刺」は、 プロセスカラーによる疑似フルカラーではなく、 印刷技術者が1色ずつ色を混ぜて、 1色毎の版(網点ではない)を作り、 これまた1色ずつ刷るという、 なんともシルクスクリーンのような、 リトグラフの延長線上のような、 なんとも昔なやり方で印刷をしている。 というか、 関わって貰っている印刷所が、 「それしか出来ない」事情があるからで、 現在の最新設備を導入してしまった印刷所に依頼すると、 おそらく4倍くらいの値が付いてしまうところを、 この価格でやってくれるのだから有り難い話である。 勘違いしてはいけないが、 グラフィックデザイナーが関わっていない印刷所なんてザラなのだ。 本来、 印刷所にはグラフィックデザイナーは不要である、 というのが自説なのだが、 どうもやはりグラフィックデザインと印刷は密接関係にあり、 デザインされたものが印刷されるという、 固定概念は簡単には拭えそうにないのもまた事実であると思います。 重要なのは、 印刷が主体でありグラフィックデザインは、 それを計画する役割であるという事。 グラフィックデザイナーは、 印刷の在り方を熟知し、 印刷する側が印刷に集中出来るように、 出来る限りの配慮をしなければならない。 だって色を作るのは印刷所の人やし、 実際に色乗せるんも印刷所の人だもの。 その事を忘れないとして、 グラフィックデザイナーが出来る作業はなんなのでしょう。 もし、 今、印刷よりもグラフィックデザイナーの方が偉い事になっているのなら、 それはやはり改めるべきです。 もし、 グラフィックデザイナーにとってコミュニケーションが重要なのであれば、やはりそれも改めるべきだと思います。 デザインは人と関わる事で成立する作業ですが、 人に媚びるべきではないと思います。 現在は、 クライアント→グラフィックデザイナー(営業は抜きで、そんなの書いてたらキリがない)→印刷所でしょうか。 何故こんなに印刷の価値が下がったのか、 その原因はまさしくここにあります。 コストの削減、コンピュータによる制御が直接的な原因ですが、 原因そのものの始点はここなのです。 比較的新しいオフセット印刷は置いといて、 そもそも活版印刷主流であったが故に、 印刷所は版の購入に余念がありませんでした。 その中には装飾版もあったでしょう。 賞状に代表されるような、 職人技的なものもあったはずです。 そのそもそもな当時は、 こうであったはずです。 クライアント→印刷所←活字鋳造所(グラフィックデザイナー?)。 いろんなパターンがあったにせよ、 その全ては印刷所に集中していた時代がありました。 何が違うのでしょうか、 大きく変わった1つの要因があるように思います。 それはやはりグラフィックデザイナーの登場でしょう。 その始めの代表格は日本では竹久夢二が有名です。 彼の残した仕事は数知れず。 そうなのです。 多分この頃から印刷所ではなく、 竹久夢二が残した事になっています。 活字版が主流の時代は、 鋳造所として資料が残されています。 個人がクローズアップされるのは大抵は、 作家性が高まった事にあり、 印刷に対する芸術性の高まりを意味しています。 ある意識の高いグラフィックデザイナーが計画した事に、 印刷所が協力する構図が、 グラフィックデザインの登場により敷かれた訳です その中で注目はグラフィックデザイナーに注がれます。 そこで、 特定のグラフィックデザイナーに頼みたいという願望がクライアントに芽生えます。 それまでは印刷所に予め準備されていた装飾を、 どのように決めていたかは想像するしかないのですが、 今の古い印刷所の仕事ぶりを参考にすると、 クライアントの指示通りの文面で印刷所の方の配慮の文字組の元で、 用意された装飾を選んでみたり、 形式に乗っ取る(賞状等)形で取り決めていたのでしょう。 これは大きな変動です。 グラフィックデザイナーというフィルターが入る事で、 印刷所は影を潜め始めます。 で、今の状況です。 その過程がどうであれ、 グラフィックデザインという表面的な価値だけが掬い取られ、 最近ではグラフなんていう印刷所が頑張っていますが、 そのグラフィックデザインの能力は正直なところ、 印刷よりになりすぎていて高いとはいえません。 むしろそれを楽しんでいるという意味では評価は出来ますが、 可能性として不十分であると感じます。 あくまで印刷所がグラフィックデザインの事を意識した台頭であり、 その質を最大限にまで高めた結果なだけで、 結局はグラフィックデザインが主体になっている事に違いはないのでしょう(個人的には好きです)。 そうそう、 グラフィックデザインという表面的な価値だけが掬い取られ、 デザインが神のような扱いを受けてますが、 もういいじゃん、 なんだかねそういう考え方は時代遅れで古いんです。 だからといって懐古主義なノスタルジーになる事を強要するもんじゃありません。 ここでやっと花形装飾活字。 これは印刷に対してどういう事だったのでしょう。 以前にも、 とくに今回のものについては、 凄くグラフィックデザイン的であるというのは書きました。 ここからは個人的な見解(ずっとそうか)です。 グラフィックデザイナーはあまりにも自由に振る舞いすぎたのかもしれません。 そして、これを書いた時点で、 いえいえ、いろんな制限で動いているよ、 という意見が多数出そうですが、 いえいえ、それは大きな勘違いだと思います。 都合を合わせる事と配慮をする事は違うのです。 クライアントはいろんな都合を背負い、 大きな気負いで一般的には代理店に依頼し、 代理店は結果が出るものを要望し、 いろんな負の板挟みにグラフィックデザイナーは置かれて、 その掃きだめを印刷所(印刷物の場合)に押し込めているのです。 あえてアカンように書きましたが、 もちろん良いようにも書けます。 が、 それは「仕事」もしくは「職業意識」をメインに置いた場合でしょう。 その場合には全てが正当化され正しい事になってしまうのです。 あ、あ、 あくまで否定じゃないよ。 状況を見ての判断です。 どんな風に議論して勝ったとしても、 印刷物がつまんない事になっていて、 ゴミみたいに扱われている事には違いないからね。 その部分です。 以前にこうも書きました。 この花形装飾活字が多く配布される事で、 その価値が下がる事を恐れている、 それを防ぐために条件を設置させていただいていると。 これは間違えないでくださいね。 この花形装飾活字を神のように崇めての事ではなく、 愛してはいるけれど、 例えば、 凄い装飾された高価なギターを飾っているだけで、 傷つけただけでアカンような文化にだけはしたくないという意味です。 まじで今回のこの花形装飾活字は素晴らしいものです。 だからこそ使って欲しいんです。 使ってその価値を実感出来るチャンスを多くの方が掴む事を願っています。 と、それは置いといて、 花形装飾活字はグラフィックデザイナーにとって、 印刷の事を考える良いきっかけになるでしょう。 今、 全てではないのにしろ、 多くのグラフィックデザイナーと呼ばれている人達が、 どれだけ職能だけを惹け散らかし、 全然その役割を果たしていない、 勘違いしたグラフィックデザイナーさんであるかがわかると思います。 その認識を正すではないですね、 ええと、 見直す時期に来ている事は確かであると言えます。 気付かない人は気付かないでしょうが、 もしも、 気付く人が増えた時には、 印刷の価値が高まるのではないのでしょうか。 それは凄く期待しています。 うーん、やっぱり書けば書くほど伝わらない気がしてきたぞ。 やっぱりダメですね、まとまらないや。 これは文章にしてはダメです。 やっとここまで文章出来るに至ったとい言うのが近いですが、 説明出来るまでには至ってないという事でしょう。 説明出来ない事はこれからの活動で証明していければと思いますが、 というのは前から書いてますが、 ダメだったなんて大恥だけはかかないようにしなくては。 ココロから置いておきたいと思う、 紙に刷られた印刷物。 それを実現した「千代紙な名刺」(印刷見本無料ですのでお気軽に)。 もっと根本的に追求し始める為の一手である、 今回の「花形装飾活字」の配布。 そして次からやろうとしているたくさんの事。 やればやるほど、 増えれば増えるほど、 印刷の価値が高まっていきます。 そしてグラフィックデザインの可能性。 今近くにある印刷物を手にとって確かめて欲しい。 うん、まとまらない。 書くんじゃなかったけど、まあいいや。









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