花形装飾活字を愛でる その140



そして、 この形の元になったイメージとはいったいなんなのか。 単に都合のいい抽象に仕立て上げた訳ではありません。 1つの長年付き合ってきたモチーフを元にしました。 これを最初に何にするかで答えは変わっていたと思います。 なんというかやはり形にする以上は完全な想像などは有り得ません。 例え抽象画であろうともかならず眼に映った記憶のあるものの繰り返しによって、 得られるものであると信じています。 それと今まで一番多く描いてきた「曲線(WAVE)シリーズ」を基にする事も決めていました。 自分が1番長く多く描き続けてきたものを、 今回の「水草」にぶつけてやろうと考えたわけです。 今自分に出来る最強のドローイング、 そして今まで散々書いてきた「水草」コンセプト。 この2つが掛け合わさる事で、 水草の考え方がグラフィックデザインに関わってきて10年の集大成なら、 版の形そのもののドローイングは、 生まれてきてから今まで描き続けた技の集大成にしようと考えました。 前振りが長くなりましたが、ではここで答えを。 答えは「植物」です。 1つ1つが「植物」であり、全部で1つなんです。 葉であり根であり茎であり花である訳です。種でもあるかな。 その形の根本を追求し、 組み合わした時にどのように組み合わせたとしても「植物」になるような図案に仕立てあげました。 これは技です。 グラフィックデザインの関係のないところ。 もしくは巧みの一致を見たと言ってもいいと思います。 ずっと研磨し続けてきた事をただただ掛け合わせただけ。 その2つが組み合わした時に予想をしてそうしたのではなく、 単に、単に、その化学変化を楽しんだだけ。 言わば新しい生命です。 これはグラフィックデザインでありグラフィックデザインではありません。 絵画であり、絵画ではないのです。 まったく新しい平面もしくはビジュアルの誕生なんです。 そしてボクの全てです。 つづく。



花形装飾活字を愛でる その139



「波紋」「対岸」「道標」。 そして改めまして『新・花形装飾活字、水草』の世界へようこそ!! うむうむやっとここまでこれました。 今まではあくまで、 水草がグラフィックデザインとしてタイポグラフィとして、 いかなる視点で考えられて、 それはどのように使うべきなのかを重点的に書いてきました。 ここからは、 装飾の部分、飾りとしての水草に触れていきたいと思います。 その中で配置の妙みたいなものも画像でお伝えをしつつ、 この水草が今後どのようなシーンでスタンスで、 使われる事が望ましいかも含めて書いていけたらなと考えております。 なので、 まず、今回は、 今までに紹介してきた作法の3つを一同に並べてみました。 いかがでしょうか。 既に装飾としての根本は実はこれでオッケーな水準になっています。 というのは、 考え方として、 西洋の花形装飾活字が全体主義というか統合主義的なモノの捉え方に対して、 今回の水草は部分的で文字を支配せず開放的に捉えたまま、 全体を把握するというのが特徴なんです。 つまり、 めちゃんこ整理された瓦版と言ったところでしょうか。 瓦版は言わば本文さえも描き文字で行っていましたから、 そのまま活字になる事でその発想での花形装飾活字は、 今ある表彰状等を見れば一目瞭然ですが、 紙面として階層ではなく一枚の絵として、 の美術文化をどう生かすのかという点において、 今回の水草は打ってつけという訳です。 だいたいからして四角い紙面において、 どのように配置をしてもバランスを崩す事もなく、 装飾としての機能を活かす事が可能です。 時には生け花のように、 時には日本庭園のよう、 自然が織り成す現象もありでしょう。 もちろん西洋的に囲う方法も、 キチンと部品を作り装飾としてのバランスを考慮しながら組めば、 これまた不思議な絵になります。 その時時の文章の内容やシーンによっても、 イメージを変える事で柔軟に対応する事が出来ます。 そしてこの時に忘れてはいけないのは、 水草はあくまで主体となる現象の事象でしかないという事です。つづく。



花形装飾活字を愛でる その138

少し作法から離れて、 これから「波紋」「対岸」「道標」この3つが織り成す、 紙面へのアプローチの前説を少し書かせてください。 大体は前回に書いた視覚の反応の話なのですが、 今回はそれをもう少し突っ込んだ内容になると思います。 視覚という感覚は物の動きを捕らえる役割を担っていて、 決して、色や形を見分けるものではないと書きましたが、 色や形認識の以後か以前かという話に戻っていくのだと思った訳です。 色という発想、形という認識は、 動きを捉えるという視界における制限によって、 光を読み取る眼球の装置が引き起こした化学反応の結果、 今、人間が把握している視覚という感覚に帰属しているという考え方です。 ちょっとわかりにくいな。 つまり、 紙面上の動かない形状や色は、 動くと認識する感覚で結局のところ見ちゃってるんだよね。 という事は「動き」のパターンや「止め」のパターン、 または、そのどちらでもない、もしくはその両方の図案は、 作成が可能であり、 それをいち早く取り入れているのが書道であり、 日本における文字の発想というのは、 美意識に直結しているのではないでしょうか。 例としては、 漢字と平仮名の関係ようなものであり、 動きの微妙な調整やバランスによる美が、 既にそこにあるのではと考えています。 その動きと一致しているのが、 既存の花形装飾活字であり、 そりゃ、重なって同じ動きのものを並べたら見難くなるよなてなもんなのです。 たとえそれが狙いの部分であっても、 狙いなら文字組み、タイポグラフィ的には尚更失敗ですよね。 グラフィックデザインとして優秀だとは言い難い。 これは日本の美意識独特の版画的な一層的の美術だと言われたら、 それまでですが、 それはあくまで美術であって、 今回の目的は、 グラフィックデザインであり、 今一度、日本において花形装飾活字の在り方を考えようよというのが主旨なのですから。 話が外れてしまいましたが、 紙面を見る視点において、 この「動き」を重要視する事でグラフィックデザインのある一方の底辺が見えてきます。 ただしあくまで一方の底辺であり、 数ある中の1つであるという事は注釈しておきます。 もし日本人が西洋よりも早く、 グラフィックデザインという着眼点で物事を見た時に、 何をしていたのか、 輸入されてきたされ続けている西洋のグラフィックデザインとは違う。 グラフィックデザインが生まれていたのではと、 今の幻想にも似た状況が続くのが文字組みや書体を見直すブームの中で、 今一度、この視点でも考えてほしい話は別なので置いといて、 ここでいう異質空間とは、 この「動き」の操作を意識的に行う事で得られている事を、 まず踏まえていただき、 感覚としての視覚、 そして日本の美意識が育まれた平安時代の色創造の文字文化に戻っていただけると、 次回以降を読んだ時により楽しめれるかと思います。



花形装飾活字を愛でる その137



あ、そうか、 3つの関連性を書く前に、 「道標」の紙面効果についてです。 前回も書きましたが、 画像のように異質空間の形成が出来ていないのが判ります。 短い間隔で「動」「止め」が交互にある為に、 非常に短い運動で素早く移動しているからなんです。 オブジェクトそのものの動きが俊敏で早くなったとしても、 紙面への影響は極僅かなので、 このような結果になっているという具合です。 波紋や対岸と比較して貰うと簡単なのですが、 どうやら、 オブジェクトが与える紙面のへの影響は、 オブジェクトが抱えるイメージのスピードに関係しているようなのです。 つまり自然現象そのものであり、 人間が目にしている視覚における経験、 もしくは遺伝的な感覚要素として備わったものであると考えられます。 これは、 文字を形成するイメージにも大きな関係があるとも考えています。 なぜなら、 単純に日本語と英語の読む感覚や、 読み取る際の視覚運動、 補足的には意味の思考も影響しているでしょうか、 それらは装飾における、 いわゆるイメージにも関わっているんではないでしょうか。 視覚は色や物体、動きを察知する能力があります。 考えたのですが、 もしかしたら視覚という能力で最も重要なのは、 色や物体を把握する能力ではなく、 動きそのものなのではないでしょうか。 眼球は物体から反射してきた光を察知する事で、 見るという感覚を得る事に成功しています。 そして視界という視覚の限界要素の中で、 動きに変化があるものには、 視界からフレームアウトしたり、 目で追う向きを変える等の補助的な動作によって、 動いていると認知しています。 例えば海岸は、 浜と水の領域に分かれています。 これは「動」である水と、 「止め」である浜を視覚で認知する事で、 互いに違う領域、もしくは空間として察知する訳です。 で、 ここが重要、 感覚の部分として状況はどうあれ、 視界という限界がある以上は、 光を読み取る装置はいわゆるカメラでいうところのCCDでしょうかね。 つまりそれは常に一定であるという事です。 どんなに視点を変えようとも、 向きや視角を変えようと、 読み取る装置そのものは単に、 入ってくる光そのものを一定に捕らえているだけなのです。 つまり視界を変えようとする動作は、 感覚の上では動く物体を捕らえる動作と同線上にあるのでは、 というのが今回伝えたい事なんです。 ずばり「動き」がイメージである。 形ではないという事。 もしくは形というイメージを形成しているのは「動き」なのでは。 その上で、 次回以降のこの3つの兼ね合いをお楽しみに。 つづく。



花形装飾活字を愛でる その136



「道標」です。 基本的には動的グループと止めグループを組合わした時に発生する現象です。 動的グループは動きを表わし、 止めグループはポイントを表わしています。 つまり、 道と標しの組み合わせという事になります。 この特徴は空間を隔てるのではなく、 また異質空間を作り出す訳でもなく、 枯れ枝のようなものです。 もしくは地割れ。 関連性等という発想もなく、 ただただ視線を遠回りさせるだけの存在。 1つ、 サジ加減によっては動的にも止めにも出来る丁度中間くらいに位置する配置です。 基本的には長く伸びていくだけなので、 例えば端と逆の端で、 動的に終わらしたり止めで終わらしたり、 それによって紙面のイメージがガラリと変わります。 真ん中あたりが動的でも面白いかもしんないですね。 今回の画像は丁度中間くらいにしてます。 紙面のバランスによって、 いろんな組み合わせに対応出来る作法、 「道標」でした。 これがまた「波紋」と「対岸」に絡んできますんで、 次回から当分は、 この3つを使っていろいろ実験になります。 つづく。



花形装飾活字を愛でる その135



「対岸」における紙面構成についてです。 基本的には「波紋」と同じであり、 その効果の違いに対称的な機能を持ち合わせているといったところでしょうか。 紙面における関連性は、 同一上にある限りは無くなるという事は絶対にありません。 どれだけの距離が離れていても、 かならず関連性は発生しています。 そこで「対岸」の着想点を、 関連性を断つフリをする、 もしくはそのように装っていると姿勢を示すというものにすることで、 どうせ関連性は生じるのだから、 その姿勢を示す事で強い関連性を保持しながらも、 まったく違う空間としての演出を作りだしているというものです。 何も配さず、 離して何も言わず構築しちゃうよりも、 いっそ「対岸」を配置する事で、 対象となる情報とは違うという意識をハッキリさせています。 また、そのおかげで文字の大きさが同一であっても、 「波紋」の場合もそうでしたが、 この「対岸」はより強く、 対象となる情報との関連性を持つ事が出来ているので、 区別して「波紋」の時とは違う異質空間どうしの繋がりとして認識する事が出来ます。 その上で、関連性を断つフリをしている訳です。 微妙なニュアンスですが、 実際の紙面上での「波紋」と「対岸」の違いは圧倒的であり、 書く順番こそは間違ってしまいましたが、 今回の内容を踏まえまして前回の回を読んで、 互いの役割の違いを感じとってみてください。



花形装飾活字を愛でる その134



「波紋」と「対岸」の関係についてです。 能動的な「波紋」に対して、 受動的な「対岸」は、 互いに近づけば近づく程に関連性を高め、 離れれば離れる程に、 「対岸」の「波紋」に対する傍観者っぷりというのは、 半端なく高まっていきます。 同じ紙面にある以上は、 「水草」を使う使わないに関わらず、 その関連性を完全に断ち切るのは絶対的に無理であり、 逆に融合する事もまた無理な話なのです。 で、あるのならば、 「水草」を使用する事で、 その要素を最大限に生かす発想で考案したのが、 この2つの関係性にこそある訳です。 まず、 受動的な「対岸」の内側に注目して欲しいのですが、 内側の情報は、外側の情報との関係を一切絶ち(実際には絶っていない、もしくは絶つという振る舞いをしている)、 前回も書きましたが、 それこそ「対岸の火事」のように内側の情報が、 外側の情報を伺っているに過ぎない状態を作り出しています。 能動的である「波紋」は、 受動的である「対岸」の効果によって、 その紙面における空白の動きの部分は、 「対岸」を設置しない場合よりも強さを増すのと同時に、 その効果的距離を縮める結果となっています。 これは「対岸」が「波紋」に近づけば近づく程に、 反応を強め、 「波紋」に多きな影響を与えます。 しかし、 受動的である「対岸」の内側は、 その反応には一切の変化はなく、 ただただ、 「対岸の火事」として傍観するのみなのです。 実は、ど勘違いして一回分の予定していた内容を飛ばしてしまいました。 次回は「対岸」の文字情報配置の在り方に戻ります。 申し訳ないです。



花形装飾活字を愛でる その133



「対岸」です。以前に庭石と表現していましたが、 感覚的にお解りいただけますでしょうか。 つまりそういう視点での作法なのだとご理解いただけると助かるのですが、 前回の「波紋」もそうですね。 「水草」は現象を引き起こす、 きっかけにしかすぎず、 現象そのものは紙面の空白にこそ起こっています。 そして改めて「対岸」です。 なぜ「対岸」にしたかというと、 受身の配置として使われる事を想定しているからです。 画像のように、 右側の「対岸」という文字を囲むように配置していますが、 「波紋」が現象において内と外の紙面に関連性を与えるのに対して、 「対岸」は内と外との関連性をシャットダウンし、 外の現象をまるで「対岸の火事」のようなスタンスで内の空間を作り出すところに、 「波紋」との圧倒的な違いがあります。 この違いは2つを同居させる事で、 紙面上に思いもよらない化学変化をもたらすのですが、 それはまだまだこれからゆっくり解説していく中で書いていくとして、 まず、 この画像で感じ取って欲しいのは、 ガッチリと固まった内側の空間に対しての、 外側のなんとも不安定な流動的な空間の存在です。 不思議でしょう??不思議なんです。 これって面白いのは、 紙面の比率がどうやら関係しているようなのと、 情報の配置する位置にも関係がありそうです。 これはイメージの問題ですが、 日本の庭に置き換えた時の視点で見れば合点がいきます。 日本の庭の多くは、 この「対岸」の在り方を再現してる場合が多いんです。 例えば縁側から庭を見た時の広がりというのは、 いわゆる紙面の流動性に似た不安定な要素の中に道筋を作りだしているんです。 縁側にしろ庭側にしろ、 お互いに対岸のような関係にあるという事です。 これは実際に日本庭園に行って体験した事なのですが、 家の中にいる時は庭はあくまで外界であり、 逆に庭に入った瞬間に家が異質な存在となって現れるようになっているんです。 あの感覚というのは、この水草でも同じ事が言えます。 今回は「対岸」による配置を1つしか配していませんが、 これを対称になる方向に配する事で、 どうなるのかはご想像にお任せします(追々書いていきますが)。 あ、 ここで1つ大きなポイントがあります。 これはとくにどちらを水面にするという設定ではありません。 内側を水面でもいいですし外側を水面でもいいです。 それは組む側の発想のキーとなるというだけの事なので、 ずっと書いていて何度も書いていて申し訳ないんですが、 この「水草」は具現的なものでも抽象的なものでもありません。 日本の美意識の元で設計されたものです。 芽生え、苔むすのような日本独特な感覚での使用が、 この水草を生かす重要なポイントとなっています。 あくまで要素です。 紙面に与える現象でしかないというものであり、 そこらへんのとこ興味がありましたら、 この水草の解説が始まる件から読むのがいいかもしれません。



花形装飾活字を愛でる その132



「波紋」は何をもたらすのか、 その距離の構造と実態についてです。 画像をまず見て欲しいんですが、 というか何も言わなくていいやと思っちゃった。 だって画像で十分伝わってるじゃん! と言いつつ解説です。 題名と本文に分かれた文章と、 「波紋」の形にセッティングされた水草が1つが配置されています。 ここで重要なのは、 波紋がもたらす、 もしくは波紋による影響と考えられる、 空白部分とそうでない部分の2つに分かれている事です。 ちなみに今回は本文を、 波紋の影響がない真っ白な空間に配置しています。 なんかもう凄すぎて寒気がしちゃうんですけど、 波紋が影響しているところと、 何もない空白部分の淡い境界をお解りいただけますでしょうか。 これこそが「波紋」による紙面構成なんですね。 そうだなあ、 あの淡いところに写真でもイラストでも置いたら完璧なんだろうなあ。 でもまあ、あえて置かなかったのは、 あくまでこれは水草の解説ですし、 これ以上の事はこれを手に入れた方の仕業な訳ですから、 今回はこれでご勘弁を。 と言いつつもとくに文章で解説するよりも、 やっぱり画像を見て欲しいです。 これが「水草」です。 これぞ!!新・花形装飾活字なんです!!



花形装飾活字を愛でる その131



「波紋」これこそが内側と外側の異質空間を実体として、可能性として示したものです。 隔てているが全てが繋がっておらず外側へ行く程に疎外感さえ感じられます。 文字という情報がきっかけになって生まれた波紋。 その外にはどのような紙面が広がるというのでしょうか。 内蔵されたイメージは装飾に在らず。 全ては白い紙面を生かし、 文字という情報があくまでその発端であるが如く配慮。 いわば白い何もない空白こそが装飾であり道筋なんですね。 動きは加速しているけれど目線の流れは緩やかに。 重要な事はオブジェクトが1つも繋がっていないという事。 これを繋げてしまうと「波紋」には至りにくい。 あくまで同一上の紙面に緩やかな異質空間を作る事で、 強さで保持しない「水草」的紙面構成を楽しんで欲しい。 何が動いて何が静まっているのか、 そして外へ行けば行く程に無になる。 内側もある意味、外側と同じ無だけれど、 まったくの違う異質空間になっている事にも気付いて欲しい。 そしてオブジェクトの動きの向きが円形であるにも関わらず、 目線の動きは内から外に動いている。 装飾の動きの一定が、 紙面に与える影響というのは装飾そのものではないという事です。 うーん、表現があいまいか。 この場合の動きというのは、 装飾ではなく白い紙面そのものであり、 情報という名の文字がそれを制御しているという事です。 つまり文字の配置は内側にあるか外側にあるか、 それとも両方にあるかで、 その空間の異質さと正常さの加減が変化し、 おのずと意味を持ち始めるちゅうことです。 それを調節出来る事でまず第一段階クリア。 それを意識しつつ情報の質量と装飾を加減する「波紋」は、 次回へつづく。









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