花形装飾活字を愛でる その150



異質グループと 「対岸」との組み合わせです。 前回の画像とも併せて見てもらえると助かるんですが、 なんとも自然に憑依しているのがわかります。 しかも今回の場合のように根の流れを意識して配置すると、 紙面に杭を挿すような形で配置した方向に整列します。 これは「波紋」にも使える作法なので、 一度試してみてください。 ただし作法による効果の邪魔をしない事が前提です。 また、 「対岸」に対して続きのように配置すると、 ちょっとした違和感を与える事が出来ます。 「道標」まではいきませんが、 「対岸」の効果を緩めたり「道標」への連携を促したりする効果があります。 もしくは違う「対岸」同士を「道標」程に間延びせず、 くっきりとすぐにイメージとして変換する場合にも有効に使えます。 これを動的グループで行うと違和感だけが漂うのですが、 つまり「道標」のように長くして違和感を消す作業をする訳ですが、 この異質グループをウマク使う事ですぐに変換出来るという優れものなのです。 後は前回書いた事を応用して「対岸」にも使用できます。



花形装飾活字を愛でる その149



それでは、 異質グループを「波紋」と合わせてみます。 異質グループの役割は違和感を与える事と紙面にイメージを与える事です。 あくまで作法の邪魔にならないよう自然に使うのが良いと思います。 根の流れや角度に気を配りながら配置するべきです。 同時に「波紋」のように動きとしての作法の場合には、 その能力を殺がないようにも気を配りましょう。 ここで重要な事は、 紙面における装飾性を増加させるとともに、 作法に一定のランダム性を与える事が出来るので、 同じ配置を使いまわした場合に、 同一パターンによる飽きを防止する事が出来る事です。 という事は、 複数の紙面に対して、 同じ情報量のものを配置する場合にも、 作業量の負担を軽減する働きを持ちます。 同時に一定のパターンを保ちつつ、 変化を与えるので作法におけるページパターンを崩す事はありません。 つまり作法は単なる骨組みである事も示唆しています。 しかし多用する事はお奨めしません。 あくまで異質グループです。 まずは作法を踏まえてキチンと構築すべきであり、 時々ある違和感として使用するべきです。 変化とは即ち常に起こっているものであり、 それは情報を勝ってはいけないものであるという事を念頭に入れておくことをお奨めします。



花形装飾活字を愛でる その148

1つ説明しなければならない事を忘れていました。 これを説明しなければ次に進む事が出来ないので、 この時点で書き留めておきます。 それはイメージの深度についてです。 これについては今回までに間接的にお伝えしてきましたが、 今回はもう少し突っ込んだ形で説明出来ればなと思います。 イメージの深さとは何か。 それは追及するに値する到達点の1つであると言えます。 とくに今回のような平面の場合には、 何をイメージの深度とするかで全てが決まってきます。 例えば花形装飾活字の場合なんかは、 基礎となる要素と役割がどこにあるかで、 装飾や線の形状、オブジェクトの数に至るまでの全部が決まってくるのです。 その深度はかならず一定にあらず、 全てが異なる深度で設定されます。 この深度の数値の違いこそがオブジェクトに特徴を与えるのです。 というのを踏まえつつ、 水草では大きなもう1つの実装として最初に言語の設定を行いました。 グラフィックデザインはしばしば方法論として、 言語をイメージ化する事が語られますが、 そこから一歩下がって、 言語そのものの設定をいかなる方法で行えばグラフィックデザインに足る現象へと変化するのか、 多分、今回の制作の思考において一番時間を費やしたかもしれません。 つまり、 それがイメージの深度という訳なんです。 言語が数値そのものであり、 イメージにおける言語支配からの脱却が、 この水草では行われています。 わかりますでしょうか。 これが花形装飾活字の正体なんです。 装飾というイメージの深度を、 役割というイメージの深度を、 言語化されたイメージによる変換が、 宗教であり文化であり意識そのものであるというのは、 作業におけるグラフィックデザインという動作そのものであり、 グラフィックデザインそのものが現象を引き起こすトリガーである可能性も、 同時に示唆しているという事にも繋がっています。 だいたいからして大勢のグラフィックデザイナーはここを勘違いしてるんじゃ?というのが、 ボクの意見なんですけども、 の話はズレルので置いといて、 同時にこうも言えます。 グラフィックデザインは結果ではなく現象そのものである。と。 補足的には「デザイン」ではなく、 間違いなく「グラフィックデザイン」なんです。 つまり、 グラフィックデザインとは、 言語をイメージ化した結果ではなくって、 言語をイメージ化する動作そのものではないかというのが、 新・花形装飾活字「水草」で語るべく答えです。 その上で「イメージの深度」「グラフィックデザイン」というのものを考えてみてください。 今までと少し違った答えが出てくると思います。 そして共通意識が発生する前の「デザイン」。 それこそが「グラフィックデザイン」という考え方に潜んでいるのではと予感出来ませんか??? 次回につづく。



花形装飾活字を愛でる その147



異質グループの連携についてです。 と言っても使い方としては、 異質グループ同士で繋がる事はまずありませんので。 特徴をわかってもらう為の画像で説明です。 ま、してはいけないという訳ではないので、 そこらへんはご自由にお願いします。 まず注目は「く」の字に曲がっているタイプについてです。 「く」の字の内側と白い部分の関係は重要です。 これは作法との連携時に使用します。 見た目的にも感じが見て取れると思いますが、 ここで初めて図案が、 もしくは版の部分が空白を支配しています。 これは普通の装飾にとっては何も不思議な事ではないのですが、 この水草にとっては大きな事なのは、 今まで読んでくれていた人はわかると思いますが、 本当にこれは異質な事なのです!! これは次から重要な事柄になってきますので、 よーく覚えておいてください。 連携における全体的な特徴としては、 「対岸」と「道標」のちょうど中間くらいのイメージになります。 動く訳でも止まっている訳でもありません。 使う版を調節すれば「波紋」にも繋がるという、 やっぱりこれは形だけじゃない、 連携の場合でも異質グループなのです。 例えばこれを「波紋」と絡ませる事で面白い現象が起こるんですが、 これは次回に繋ぎます。



花形装飾活字を愛でる その146



「異質グループ」についてです。 動いている訳でも止まっている訳でもない彼らの役割は、 水草によって変化し続ける紙面を確認する為にあります。 つまりアクセント。 先の「波紋」「対岸」「道標」にイレギュラーを発生させます。 純粋な自然の動きに対して人工的な不自然さを引率し、 現象をその場に定着させる働きがあります。 そのままだと、 ずんぐりむっくりした、ただのいらない子らなので、 普段は単体で使う事はまずありません。 綺麗な配置に少しの汚い違和感を入れる事で、 味気の無さを解消するという灰汁のような存在なのです。 ただ、優等生だけでは得られないクセみたいなものを演出する、 水草を構成する上でとても大切なグループと言えます。 でもまあ美しさを追求する上では使う事もないと思います。 リアリティの部分として、 何か足らないと感じたら彼らの事を思い出してみてください。



花形装飾活字を愛でる その145



あれれ、そんなに変わらなかったなあ。 これやったら前回のままで良かったかもしれません。 何が書きたかったというと、 この「波紋」と「対岸」の内側を背中合わせにする配置は、 局所的な支配でしかないという事を書きたかったのです。 実は写真入れようと思ったのだけど、 それはまだ先の実験に取っておきます。 でもまあ、 前回の時との若干の距離の違いは感じて貰えますでしょうか。 単に距離を離した時よりも紙面に緊張感があります。 前の2つの配置も効果が微妙に異なりますので、 これは是非試してみてください。 あ、それとわかりやすいように、 図案を小さくしていますが、 大きくして数を少なくするのが一番いいです。 大きくすると配置とかがわかりにくいので。 という事で、 後は組み合わせです。 基本的には合わせの部分として、 どの面を合わすかで、 その効果が変わってきます。 作法毎の組み合わせや角度によっても、 微妙な変化を調整出来ます。 代表して3つでした。 紙面の情報によって、 答えは変わりますので、 形式ではなく導きとして捕らえていただけると助かります。 つづく。



花形装飾活字を愛でる その144



まあ、ここらへんも前々回に続き、 微妙な違いですが、なので手短に。 前回の紙面の広がりに比べると対称的な存在です。 中間に無重力空間、 もしくはブラックホールのようなイメージの圧縮部を作る事で、 対象となった空間は、 まるでブラックホールに吸い込まれるがごとくお互いの距離を縮めます。 ここで大切な事は、 この効果というのは、 情報の影響になんら関係が無いという事です。 空白への影響を与える事で、 空間そのものへ変化を齎しています。 もしくはあえてこの紙面効果から、 文字情報を外した位置に配したりすると、 逆に対象となる関連する情報との関係が面白い具合になるかと思います。 これは写真やイラストがあると、 凄く効果的な方法なんですが、 それは今後の実験にて。 つづく。



花形装飾活字を愛でる 143



なんだか微妙な違いですが、 今回は前回の配置を逆転させ、 少しその効果の意味を変えています。 こっちの方がわかりやすかったかもしれないですね。 こうなったら「対岸」ではなく岸になっちゃう訳ですが、 こういう場合は何に対して対岸かという事が重要になります。 とくに2つの情報がある時なんかは、 水草が無い場合に比べて紙面が拡張されて表現されます。 実際の見た目も2つの情報が離れ、 遠くから見ているようなイメージを抱く事になります。 つまり外側の空間を「波紋」で動かし活発化させる事で、 関連する情報との距離感を発生させています。 この場合、 右下の情報に左上の情報の全てが降りかかっており、 空白による空間の動きの演出と意識は、 例え同じ文字の組み方、配置をしたとしても、 その紙面におけるイメージの推移を、 水草によって変化が可能だという事も同時に分かります。 何が書きたいかというと、 日本語書体においては、 しばしば空白や余白を意識して文字組や配置をする事が語られ、 その上で美しさを説いている場合が多いですが、 この水草の理論からすると、 空白や余白に変化は可能なので、 その美しさの理論は、 正しき組版を揺るがす事になるんではないのかと考えています。 まあ、出すぎですが、 定義された美しさ程うっとおしいもんはありませんからね。 重要なのは意図であって、 どれだけ必然性を整えて、 その中の偶発性を生むかという点において、 あまりに文字一遍通りでは自由が無さ過ぎるように思います。 これは、 文章がブロックの塊だけではなく、 1つの紙面上での多ブロックによる組版の可能性を示唆しています。 あんまし専門で勉強してないのでこの当たりは言葉が間違ってたらすいませんが、 わかりますでしょうか。 極論なところ、すなわち視覚的なあり方として、 文学が変わるのでは。 漫画との領域とややこしいかもしんないですが。 ボクは少なくともそう思っています。 漫画を学ぶ上でわかった事は、 そこに文字がある以上は文学であり、 どんなに優れた文章でも文学でも、 単なる一方通行のブロックとして世界観を結局構築しているのは、 印刷という技術に照らしあわした結果で、 そこに美しさを求めるのは、 いささか疑問であると思うのです。 1冊の本でも良いです。 1枚の紙面でも良い。 印刷されたものがあまりにも定義されすぎな気がします。 あ、水草と関係ないかもな、 どうしようかな。 でもいいや書きます。 漫画でも文学でも新聞でもない文字の印刷。 水草理論はそれが可能だと思います。 大切なのは、 それを画策する人だし、 ボチボチ、テクノロジーとは別の部分で、 違うところにいくべきでは。 ボクはもちろんそうします。 それが文学か漫画かはわかりませんが、 大切なのは水草を使う事ではない。 もしこれを評価してくれるなら、 水草を作った事ではなくって、 この水草理論を考えた事です。 グラフィックデザインの達観の部分として、 2010年3月15日現在の立ち位置にて。 あ、終わらないよ。 結局なとこ何が書きたかったんだか。 まだまだつづく。



花形装飾活字を愛でる その142



「波紋」に「対岸」を被せるとどうなるかです。 画像を見れば一目瞭然ですが、 左上と右下の空間の圧倒的な差を感じる事が出来ると思います。 左上なんかはちょっとした浮遊感のような軽ささえ感じられます。 右下なんぞは深く沈み他の空間との一切の関係を断たれた状態になっています。 これは「対岸」による止まっている異質空間の中に、 動きである「波紋」を「対岸」に放つことで、 思いもよらない程のイメージの断絶が起こっている事によるものです。 つまり裏を返せば、 この形を作る事で左上部に関しては、 一切の紙面への影響が無い状態を作り上げる事が出来ます。 これくらいのイメージとしての圧縮を作り出してしまえば、 例えば西洋のようにシンメトリーで囲む事での装飾も可能になります。 また、この事象の特徴は、 互いの余白、空白に依存をします。 水草がそのまま左上に移動していくと、 右下の断絶感は緩み、 同時に左上の紙面における支配感が緩みます。 ただし、互いの関係は変わる事なく維持し続けるので、 均等に断絶している状況になるだけなんですが…。 この場合の正しさとしてはやはり、 組む自然さを考えると、 画像のように右下を圧迫するようなやり方の方がいいんですねきっと。あ、文字の情報逆だったかも。ま、そういう感じです。



花形装飾活字を愛でる その141



例えば、この水草をガバっと取ったり、 好きなお気に入りな版があったりなんかして、 それらを組み合わす行動は、 ボクは別にグラフィックデザイナーじゃなくってもいいと思う。 この水草を作った願いというのは、 そうじゃない人がキチンとグラフィックデザインを意識出来るような、 グラフィックデザインが紙がイメージが、 使う人の手にあって、 それを彩る一端として水草があればなあと考えていて。 グラフィックデザインは広告やメディアに拠りすぎだとも思う。 それはやはりオフィシャルを意識する心と、 発するという公開するという意識の中で、 プライベートがそれを求める領域まで辿りついてないだけなんじゃないかな。 果たして「ブランド」が正しい答えなのか、 戦略や価値や雰囲気や時代や人や、 そういう嘘くさいグラフィックデザインは終わりにしたいと思いませんか? ボクは思います。 せっかくこんなにたくさんの紙があって、 せっかくこんなにたくさんの印刷のやり方があって、 これはずっとずっと書いてますが、 そんな願いみたいなものが、 この水草に込められています。 作法は作り上げるもの。 ボクが示す作法なんかはボクが作ったものでしかない。 重要なのは、 出来上がった物事やイメージというのは、 かならず個としての人間が誰かが言い出した事であって、 なおかつ誰かが決めた人がいるんだよね。 花形装飾活字というもののカテゴリーでさえ、 アラベスクというキーワードでさえ、 それが好きだから水草じゃないというのは、 いささか悲しい決断だなあと思います。 あ、そうだ作法について書くんだった。 ついつい今やってる事を書く傾向にあるという事で、 少し宣伝。 ツイッターでは3月と書いていたけれど、 来る4月に新しい印刷システムをfengfeeldesign発のサービスとして開始します。 多分、今出来る全力投球です。 当分、グラフィックデザインとしてはこれに注釈する事になると思います。 追々の計画と絡んできますので、 おっとまだこれは書けないのでこのへんで作法! 今回の画像は、 基本の3作法を使いつつ、 異質空間の融合を行いつつ、 一本のイメージで構築しています。 2つの異なる異質空間を同軸に存在させる事で、 紙面への緊張感を一層強めています。 凄くパワフルな配置です。 例えば今回は同じ向きでの配置でしたが、 これを内と外で向きをちぐはぐに変えると、 なんとも緩い空間が出来上がります。 つまり物質化された空間という事になります。 ちなみに今回は動的な空間という具合です。









最新のLOG
Facebook版「花形装飾活字を愛でる」はこちら

http://www.fengfeeldesign.org/