花形装飾活字を愛でる その76

なんだろうこの現状。 そして天王寺は終わった。 あの阿倍野の奇跡は根こそぎ無くなった。 「代わりのもの」は出来上がりつつあったけれど、 あの奇跡はもう無い。 同じ料理店でも味は変わってしまったし('あの名店のあの変わりようは…)、 あの路地へ入り込んでいく怪しさも、 資金の無い人は確実に止めざるえない状況になった。 これで地震で崩れる心配は無くなったし、 すっかりマンションが建って綺麗になるのは時間の問題のようです。 昔を知っている人は愕然とすると思う。 だって本当に何も無くなってしまった。 そこまでやっちゃうかと思った。 残った場所もいずれは一掃されちゃんだろうね。 もうね、 これもね、 話は違っていないのです。 なにやってんだか。 こんなにも同じ場所に人が密集しているのに、 わざわざ人に会いに行かなくてはいけない。 だいたい近所付き合いなんてパターンが決まっていて…、 ってこれは違うか。 たかが知れている。 どうせ優秀なやつらの行き場所なんて一定だし、 そういう仕組みの中でやっている。 気付いた頃には中年で、 もしくは歳が行き過ぎてて抜け出せないか、 すっかり居場所になってしまっているか。 若い頃に気付いたとしても、 潰されるか諦めるかのどっちかだ。 と、 これは極端な話。 そして全てはグラフィックデザインに照らしあわした内容です。 別に社会だとか思想の話でもないです。 単にここで新しい花形装飾活字を作ったからといって限定的であるのは明白なのです。 なによりも難しい事はシーンとして機能するかどうかという事にあると思います。 まあ、ほんのささやかな収入もあればなあ。 所詮、 突然作ったとしても、 その活動を続けなければ終わるのが関の山。 続けなくても続く活動にしなくてはならない。 つまり「花形装飾活字」的であると思います。 目的の無い存在がある目的の助長になるようなもの。 そしてそれがシーンであれば、 なおよろしい訳です。 あ、グラフィックデザインですよ。あくまで。 まだ続きそうです。









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