花形装飾活字を愛でる その81

では、 花形装飾活字と友禅の雛形図案は可能性を共有する事は出来ないのでしょうか。 答えはイエスです。 共有する事はないでしょう。 もし出来た、したとしても、 花形装飾活字とは呼べない、 もしくは雛形図案とは呼べないものとなるのは明白だと考えます。 何故なら、 その質に決定的な誤差があるからです。 ただしそれは類似してるからこそ身余る部分でもあると思います。 花形装飾活字は伝統的なアラベスク紋様を元にしています。 それは写本から印刷技術の活版という流れなのは話がズレルので置いといて、 その基本は唐草にあり、 これは日本の伝統工芸にも多く用いられる所謂、 唐草模様と呼ばれる装飾と一致する部分でもあります。 が、 重要なポイントでもあります。 整理します。 花形装飾活字のそもそもは活字であり、 その活字の発生は写本もしくは装飾写本にあります。 装飾写本とは調べればもっと奥がありそうですが、 某宗教を布教、教えを広げる為のものである事を考慮に入れたとして、 その目的は伝達性にあると考えられます。 つまり活版印刷における印刷技術の目的とは、 伝達性にあるので、 この場合の花形装飾活字とは、 罫線のように文章をより伝える為に作られたものであり、 その上で装飾性における美意識の部分を最大源に高めたものであるのです。 友禅の雛形図案とは、 現在ではその目的は幅を利かせているが、 友禅とは染色技法の1つであり、 あくまで今回、「友禅の」と付けたのは、 参考にすべき現代までも生き残っている資料であり、 その技法を用いた雛形図案こそが、 最高のものであると認識するからです。 琳派の図案とすべきかもしれません。 あ、多分和風とされている図案のほとんどは琳派からのものです。 間違いなく言い切っておきます。 これも説明すると長くなるので今回は端折って書きますが、 興味ある人は書籍が結構出てるので読むとなかなか面白いです。 とくに田中一光のグラフィックデザインはこの一連の流れに強く影響を受けたようです。 で、 友禅の雛形図案に戻ると、 この図案というのは日本画でもある訳です。 日本画の在り方とは「手本」が全てだと言われています。 山の描き方、動物の描き方、植物の描き方、 1つ1つ全てに「手本」がありそれらを習得した者が画家とされていました。 その手本の修派の1つが琳派という事になるわけです。 江戸の末期になるとこれらに反抗してロックに目覚める画家の話は置いといて、 これは「茶」「日本舞踊」「華道」…etcの世界でも同じ考えですね。 派という考え方が日本における芸術を支えてきた訳です。 でで、 これらを雛形にし図案として扱ったのが友禅の伝統工芸群です。 装飾性、美意識の高められたものに、 生産性を加えたものであると言えると思います。 そして、 花形装飾活字と友禅の雛形図案。 逆ですよね。 生まれた目的や理由や性質は凄く類似しているのに、 逆なんです。 共有出来そうなんだけど出来ない理由がここにあります。 この事例は現在におけるグラフィックデザインの喪失感にメスを入れれる素晴らしい事例なんですが、 この話はまたの機会に。 ただし可能性についてはまた語れると思います。 続きそうです。









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