花形装飾活字を愛でる その82

とくに否定論ばかりでもありません。 当初は友禅の雛形図案を原案とし新しい花形装飾活字を作る意図にありました。 可能性としては、 両方が追求しつくされたものであるという事が挙げられます。 そのエッセンスをウマク吸い出し融合する事で、 なんとも使えるものになっていたと思います。 具体的には四季の要素を版を組み合わせる事で表現できるようにし、 それを図案としてではなく、 文章を整理するツールの1つとして完成させるというものです。 例えば「すすき」という1つのテーマを決め、 そのカテゴリーで装飾を作り、 組み合わせる事で整理性に加えて、 季節や風景、情景に至るイメージを構築出来ればという考えです。 単にパターンやルールによる装飾ではなく、 茶の世界や菓子のように四季を織り交ぜる事で、 使う側、もしくはそれを摂取する側が、 一過性に留まることの無い、 形式としてのデザインを作れると思っていました。 今回はこの考えをボツにしましたが、 惜しいと考えています。 今、新たに花形装飾活字を作ろうとした動機として、 日本における花形装飾活字の扱いの失敗。を感じているからです。 日本は「見栄え」を重視するビジュアル的な文化を根底として持ち続けています。 それはつまりイメージを先行して捉える方法。 物事をイメージとして捉えるクセみたいなものです。 逆にヨーロッパから伝えられた「デザイン」という方法は、 それまでの日本の美意識を分解するに足る、 まったくからしてこれも真逆な手法だったのは周知の事実であると思います。 一応書いておきますと、 「物事を見てからイメージする」という行動そのものであった訳です。 これは日本における「イメージで物事を見る」とはまったく性質の異なるのは、 前回、前々回と書いて参りました。 その中で花形装飾活字をイメージの部分だけで捉える事によって、 あの「賞状」に代表される装飾が出来上がったのだと思います。 あくまで意匠の世界。 それから半世紀は狂ったようにデザインの世界の虜にされます。 今までなかった価値で構築するが故の新鮮さ、 その影で根底にある文化としてのイメージ像やら、 これは一からやり直さないとダメという事です。 もう一回書くと、 惜しいとこだったんですよね。 視点としては間違っていなかったけれど、 結局あの「賞状」的なものになるところだったのだと思います。 単に花形装飾活字を使うのであれば、 作ればいいのです花形装飾活字を。 ただそれは多くの人が既にやっているし、 ある程度の成功も収めているのですよね。 と書きつつ次の視点が見つかりそれを模索中なのですが、 基本としては間違っているのではなく、 何をデザインとするのかという事にあるのでしょう。きっと。 そして今回の友禅の雛形図案という考え方は、 間違っていないがデザインではなかったというとこです。 ほいじゃ。









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