花形装飾活字を愛でる その86

しかし、 今回は「デザイン」という視点で、 花形装飾活字と向かい合いたいと考えています。 花形装飾活字の存在位置についてはこれまで書いてきた通りですが、 「デザイン」するという発想となると、 これまでの手法通りという訳にはいかないと思います。 デザインは言わばフォローです。 花形装飾活字においてフォローするという事はいかなる状況を言うのか、 これをまずは定義として揺ぎない軸に据え置かなくてはなりません。 なによりも難しいのは花形装飾活字そのものもフォローする存在であり、 そのイメージになんら影響するものではないという事です。 イメージが無いとされるものをデザインするという事は、 若き日の失敗ぐだぐだ自分最高デザインの時代の事を、 今一度甦らせなければならないという、 今まで否定してきたというか、 社会におけるデザイン存在では否定され続けている、 所謂、プロのデザイナーが学生的なデザインだよねえとか言う領域を、 きちんと考えるという事なのだと感じています。 今、考えたら、 プロの方達が否定(見下すとも言うか…)するあの学生的デザインは、 結局はデザインという商業の仕組みの上では成り立たないだけで、 デザインの質そのもので考えたらば、 よっぽどまともな事してたよなと感じるのです。 まあ下手といえば下手なのでしょうが、 そんなの当然で、 マジという部分では認めるところがあったように思います。 日本におけるグラフィックデザイン衰退の肝はここにあると見ているのですが、 だいたいからして技術うんぬんで物事言い過ぎなのです。 間違ってないけれどそういう事じゃないんですよね。 そんなの太ってる子に将来お相撲さんになれと言ってるのと同じちゅうか。 と、その話はかなりズレテいくのでとりあえず話を戻しまして…、 イメージの存在しないデザインの在り方ってのは、 ずばり姿勢の提示だと思うんですね。 デザインなんて、 物を作る時の思想でしかないし、 その夢みたいな幻想をいかに形にするかを考える時に、 デザインという手法、思想がスゲー便利なんです。 花形装飾活字の場合ってのは、 それを具体化させた代名詞みたいなもんで、 あくまで活版印刷という文字を整理する為に特化しているものなんですが、 それを踏まえても上質な思想の1つである事は間違いないでしょう。 その上でデザインをする、 デザインという視点で花形装飾活字の可能性を広げる、 ということはどういう事なのでしょう。 そもそも、 それを図案にして示すというよりも、 デザインするという視点を新たなに提示し、 例として図案化するというのが、 近いのかもしれません。 おそらく今、グラフィックデザインとして認知しているものは、 グラフィックデザインという1つのあり方でしかないはずです。 とくに海外、ヨーロッパが先進的なデザインとして日本で注目を浴びる事がありますが、 そういう事じゃないのです。 単に、 おそらくですが日本において、 グラフィックデザイン1つにとっても、 その在り方を勘違いしている可能性が高いと言えるのでしょう。 芸術に対する認知度の低さもまた、 現代の「日本人」の無関心が生んだ最悪の結果だと考えます。 が、 そういう事書いてるとカルチャーうんぬんに話が及んでしまうので、 次回は花形装飾活字に戻します…









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