花形装飾活字を愛でる その137



あ、そうか、 3つの関連性を書く前に、 「道標」の紙面効果についてです。 前回も書きましたが、 画像のように異質空間の形成が出来ていないのが判ります。 短い間隔で「動」「止め」が交互にある為に、 非常に短い運動で素早く移動しているからなんです。 オブジェクトそのものの動きが俊敏で早くなったとしても、 紙面への影響は極僅かなので、 このような結果になっているという具合です。 波紋や対岸と比較して貰うと簡単なのですが、 どうやら、 オブジェクトが与える紙面のへの影響は、 オブジェクトが抱えるイメージのスピードに関係しているようなのです。 つまり自然現象そのものであり、 人間が目にしている視覚における経験、 もしくは遺伝的な感覚要素として備わったものであると考えられます。 これは、 文字を形成するイメージにも大きな関係があるとも考えています。 なぜなら、 単純に日本語と英語の読む感覚や、 読み取る際の視覚運動、 補足的には意味の思考も影響しているでしょうか、 それらは装飾における、 いわゆるイメージにも関わっているんではないでしょうか。 視覚は色や物体、動きを察知する能力があります。 考えたのですが、 もしかしたら視覚という能力で最も重要なのは、 色や物体を把握する能力ではなく、 動きそのものなのではないでしょうか。 眼球は物体から反射してきた光を察知する事で、 見るという感覚を得る事に成功しています。 そして視界という視覚の限界要素の中で、 動きに変化があるものには、 視界からフレームアウトしたり、 目で追う向きを変える等の補助的な動作によって、 動いていると認知しています。 例えば海岸は、 浜と水の領域に分かれています。 これは「動」である水と、 「止め」である浜を視覚で認知する事で、 互いに違う領域、もしくは空間として察知する訳です。 で、 ここが重要、 感覚の部分として状況はどうあれ、 視界という限界がある以上は、 光を読み取る装置はいわゆるカメラでいうところのCCDでしょうかね。 つまりそれは常に一定であるという事です。 どんなに視点を変えようとも、 向きや視角を変えようと、 読み取る装置そのものは単に、 入ってくる光そのものを一定に捕らえているだけなのです。 つまり視界を変えようとする動作は、 感覚の上では動く物体を捕らえる動作と同線上にあるのでは、 というのが今回伝えたい事なんです。 ずばり「動き」がイメージである。 形ではないという事。 もしくは形というイメージを形成しているのは「動き」なのでは。 その上で、 次回以降のこの3つの兼ね合いをお楽しみに。 つづく。









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