花形装飾活字を愛でる その138

少し作法から離れて、 これから「波紋」「対岸」「道標」この3つが織り成す、 紙面へのアプローチの前説を少し書かせてください。 大体は前回に書いた視覚の反応の話なのですが、 今回はそれをもう少し突っ込んだ内容になると思います。 視覚という感覚は物の動きを捕らえる役割を担っていて、 決して、色や形を見分けるものではないと書きましたが、 色や形認識の以後か以前かという話に戻っていくのだと思った訳です。 色という発想、形という認識は、 動きを捉えるという視界における制限によって、 光を読み取る眼球の装置が引き起こした化学反応の結果、 今、人間が把握している視覚という感覚に帰属しているという考え方です。 ちょっとわかりにくいな。 つまり、 紙面上の動かない形状や色は、 動くと認識する感覚で結局のところ見ちゃってるんだよね。 という事は「動き」のパターンや「止め」のパターン、 または、そのどちらでもない、もしくはその両方の図案は、 作成が可能であり、 それをいち早く取り入れているのが書道であり、 日本における文字の発想というのは、 美意識に直結しているのではないでしょうか。 例としては、 漢字と平仮名の関係ようなものであり、 動きの微妙な調整やバランスによる美が、 既にそこにあるのではと考えています。 その動きと一致しているのが、 既存の花形装飾活字であり、 そりゃ、重なって同じ動きのものを並べたら見難くなるよなてなもんなのです。 たとえそれが狙いの部分であっても、 狙いなら文字組み、タイポグラフィ的には尚更失敗ですよね。 グラフィックデザインとして優秀だとは言い難い。 これは日本の美意識独特の版画的な一層的の美術だと言われたら、 それまでですが、 それはあくまで美術であって、 今回の目的は、 グラフィックデザインであり、 今一度、日本において花形装飾活字の在り方を考えようよというのが主旨なのですから。 話が外れてしまいましたが、 紙面を見る視点において、 この「動き」を重要視する事でグラフィックデザインのある一方の底辺が見えてきます。 ただしあくまで一方の底辺であり、 数ある中の1つであるという事は注釈しておきます。 もし日本人が西洋よりも早く、 グラフィックデザインという着眼点で物事を見た時に、 何をしていたのか、 輸入されてきたされ続けている西洋のグラフィックデザインとは違う。 グラフィックデザインが生まれていたのではと、 今の幻想にも似た状況が続くのが文字組みや書体を見直すブームの中で、 今一度、この視点でも考えてほしい話は別なので置いといて、 ここでいう異質空間とは、 この「動き」の操作を意識的に行う事で得られている事を、 まず踏まえていただき、 感覚としての視覚、 そして日本の美意識が育まれた平安時代の色創造の文字文化に戻っていただけると、 次回以降を読んだ時により楽しめれるかと思います。









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