花形装飾活字を愛でる 143



なんだか微妙な違いですが、 今回は前回の配置を逆転させ、 少しその効果の意味を変えています。 こっちの方がわかりやすかったかもしれないですね。 こうなったら「対岸」ではなく岸になっちゃう訳ですが、 こういう場合は何に対して対岸かという事が重要になります。 とくに2つの情報がある時なんかは、 水草が無い場合に比べて紙面が拡張されて表現されます。 実際の見た目も2つの情報が離れ、 遠くから見ているようなイメージを抱く事になります。 つまり外側の空間を「波紋」で動かし活発化させる事で、 関連する情報との距離感を発生させています。 この場合、 右下の情報に左上の情報の全てが降りかかっており、 空白による空間の動きの演出と意識は、 例え同じ文字の組み方、配置をしたとしても、 その紙面におけるイメージの推移を、 水草によって変化が可能だという事も同時に分かります。 何が書きたいかというと、 日本語書体においては、 しばしば空白や余白を意識して文字組や配置をする事が語られ、 その上で美しさを説いている場合が多いですが、 この水草の理論からすると、 空白や余白に変化は可能なので、 その美しさの理論は、 正しき組版を揺るがす事になるんではないのかと考えています。 まあ、出すぎですが、 定義された美しさ程うっとおしいもんはありませんからね。 重要なのは意図であって、 どれだけ必然性を整えて、 その中の偶発性を生むかという点において、 あまりに文字一遍通りでは自由が無さ過ぎるように思います。 これは、 文章がブロックの塊だけではなく、 1つの紙面上での多ブロックによる組版の可能性を示唆しています。 あんまし専門で勉強してないのでこの当たりは言葉が間違ってたらすいませんが、 わかりますでしょうか。 極論なところ、すなわち視覚的なあり方として、 文学が変わるのでは。 漫画との領域とややこしいかもしんないですが。 ボクは少なくともそう思っています。 漫画を学ぶ上でわかった事は、 そこに文字がある以上は文学であり、 どんなに優れた文章でも文学でも、 単なる一方通行のブロックとして世界観を結局構築しているのは、 印刷という技術に照らしあわした結果で、 そこに美しさを求めるのは、 いささか疑問であると思うのです。 1冊の本でも良いです。 1枚の紙面でも良い。 印刷されたものがあまりにも定義されすぎな気がします。 あ、水草と関係ないかもな、 どうしようかな。 でもいいや書きます。 漫画でも文学でも新聞でもない文字の印刷。 水草理論はそれが可能だと思います。 大切なのは、 それを画策する人だし、 ボチボチ、テクノロジーとは別の部分で、 違うところにいくべきでは。 ボクはもちろんそうします。 それが文学か漫画かはわかりませんが、 大切なのは水草を使う事ではない。 もしこれを評価してくれるなら、 水草を作った事ではなくって、 この水草理論を考えた事です。 グラフィックデザインの達観の部分として、 2010年3月15日現在の立ち位置にて。 あ、終わらないよ。 結局なとこ何が書きたかったんだか。 まだまだつづく。









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