花形装飾活字を愛でる その148

1つ説明しなければならない事を忘れていました。 これを説明しなければ次に進む事が出来ないので、 この時点で書き留めておきます。 それはイメージの深度についてです。 これについては今回までに間接的にお伝えしてきましたが、 今回はもう少し突っ込んだ形で説明出来ればなと思います。 イメージの深さとは何か。 それは追及するに値する到達点の1つであると言えます。 とくに今回のような平面の場合には、 何をイメージの深度とするかで全てが決まってきます。 例えば花形装飾活字の場合なんかは、 基礎となる要素と役割がどこにあるかで、 装飾や線の形状、オブジェクトの数に至るまでの全部が決まってくるのです。 その深度はかならず一定にあらず、 全てが異なる深度で設定されます。 この深度の数値の違いこそがオブジェクトに特徴を与えるのです。 というのを踏まえつつ、 水草では大きなもう1つの実装として最初に言語の設定を行いました。 グラフィックデザインはしばしば方法論として、 言語をイメージ化する事が語られますが、 そこから一歩下がって、 言語そのものの設定をいかなる方法で行えばグラフィックデザインに足る現象へと変化するのか、 多分、今回の制作の思考において一番時間を費やしたかもしれません。 つまり、 それがイメージの深度という訳なんです。 言語が数値そのものであり、 イメージにおける言語支配からの脱却が、 この水草では行われています。 わかりますでしょうか。 これが花形装飾活字の正体なんです。 装飾というイメージの深度を、 役割というイメージの深度を、 言語化されたイメージによる変換が、 宗教であり文化であり意識そのものであるというのは、 作業におけるグラフィックデザインという動作そのものであり、 グラフィックデザインそのものが現象を引き起こすトリガーである可能性も、 同時に示唆しているという事にも繋がっています。 だいたいからして大勢のグラフィックデザイナーはここを勘違いしてるんじゃ?というのが、 ボクの意見なんですけども、 の話はズレルので置いといて、 同時にこうも言えます。 グラフィックデザインは結果ではなく現象そのものである。と。 補足的には「デザイン」ではなく、 間違いなく「グラフィックデザイン」なんです。 つまり、 グラフィックデザインとは、 言語をイメージ化した結果ではなくって、 言語をイメージ化する動作そのものではないかというのが、 新・花形装飾活字「水草」で語るべく答えです。 その上で「イメージの深度」「グラフィックデザイン」というのものを考えてみてください。 今までと少し違った答えが出てくると思います。 そして共通意識が発生する前の「デザイン」。 それこそが「グラフィックデザイン」という考え方に潜んでいるのではと予感出来ませんか??? 次回につづく。









最新のLOG
Facebook版「花形装飾活字を愛でる」はこちら

http://www.fengfeeldesign.org/