花形装飾活字を愛でる その158

この水草って一体なんなのだろうといつも思っていたのだけど、 昨日答えが1つ出まして、 今日はその事について書きたいと思います。 最近はもっぱら仮名の開発に勤しんでいるんだけど、 その中で、 漢字の起源が書かれた文章を読みました。 「最初に書かれた文字は砂の上だった」というのがあって、 ただただ、あーなるほどと思いました。 それとリンクするように、 先日の野口さんとのツイッターのやりとりの中で、 http://twitter.com/kami_labo/status/12515493242 というのがあって、 お、お、お、となりました。 つまり、 イメージの底辺を落とすという作業が、 この水草の大きなテーマの1つでもあったし、 仮名を考える、 もしくは文字を考える中で、 自分の中で結局のところ文字も装飾(イメージ)なんだよねと処理しているところがあって、 文字もやはりそれを捉える為に記号化した結果の集束でもあって、 それを突き詰めて掘り下げていくと、 凄く曖昧で言葉を借りるなら、 凄く流動的なものだったんだよね。 例えば水草なんかは、 イメージの深度を浅く設定する事で、 その装飾に対する認識度を抑え、 深度が深い日本の文字体系に合うように設計しました。 流動的であるという事は常に動いているという事。 それを形式化し具現化したのがこの水草という具合。 何が書きたかったというと、 実は設計したこれって「文字」なんじゃないかって事。 もっと書くと、 装飾というのは常に文字化する事は可能で、 逆に文字から文字という要素を抜く事だって出来るんじゃないかな。 とくに仮名はその深度で遊ぶ文字なんだろうけど、 結論として、 花形装飾活字は「文字」でいいと思います。 なんかやっと辿りついたという感じもしますが、 この水草もやはり「文字」だったんです。 ずっと自分の中で、 花形装飾活字と「文字」を切って考える事が出来なかったんだけど、 やっとなんか、すっと入ってきたような気がします。 ただ確定された記号としての認識が浅いという事と、 文字と言う利用の方向性の違いで、 別のものという意識が芽生えちゃったんじゃないのかな。 イメージという海で言えば、 あるのは深度の違いだけで、 それを捉える快感的な場所は同じなんじゃないかと考えた訳です。 ただ、言葉ではないものというだけです。 言葉じゃなないから美意識や飾りとして、 別の言葉で分類してしまっていただけ。 イメージの同一線上の1つだと認知出来れば、 この水草を理解しやすいんじゃないでしょうか。 火に書く、水に書く、石に木に、 全てが流動的で変化する。 文字がもし印なのだとしたら、 やはり長く持続させるように記号化は必然だったし必要だった。 そしてそれが文字として認識され始めた。 ここへきてまさかこんな結論にたどり着くとは思わなかったけれど、 なんだ全て一緒だったんじゃん!という気持ちの方が大きいです。 なんだか文字というものを過大的に見ている(実際凄いものなんだけど)ところがあって、 それをどうにか言葉に出来ないかなというものがあった。 ボクがグラフィックデザインにおいて、 文字をずっと意識していたのはその為だったし、 純粋に美しいのに文字という事実が自分の中でピンとこなかったんですよね。 ただ、これを視覚だけの認知だとは思わないで欲しいかも、 視覚を通した気付きみたいな積み重ねが文字を形成しているし、 装飾にしてみても、 それを綺麗と感じるのは、 かならずしも視覚だけじゃないと思う。 それが聴覚か嗅覚か触覚か、 はたまた別の何かはよくわからないけれど、 それを抱くイメージは分類されていいはずがない。 本当は、 絵なんてない、 文字なんてない、 ただそれを言葉が別にしただけ。 とくに仮名の開発をしていて文字の真意を知れば知るほど、 水草は文字なのだと考えるようになっています。 そして何よりも真意に近いと思います。









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