花型装飾活字を愛でる その162

じゃあ。一周して水草とはなんだったのか、 もとい花形装飾活字とは何か。 うんでもって、 グラフィックデザインと認識している奥底にあるものとは何か。 というよりも、 現在のグラフィックデザインは、 僕たち日本人が歩み寄った結果だったし、 それはグラフィックデザインの分野に関わらず、 全てのカルチャーに言及出来る現象だったんじゃないかな。 そして、 今になって慌しく危機に感じ始めているような状態。 もう遅いけどね。 実際、 花形装飾活字の配布の中で、 この2つのパターンに分かれる訳です。 歩み寄った感に疑問に感じてる人と、 やっぱりそこに価値を感じてる人。 そのどっちが良いとか悪いという話ではないけれど、 圧倒的に多いのは後者で、 個としての強さを感じるのは前者って感じです。 やっぱりこれは広さの問題だと思う。 グローバリズムに陥るには、 日本と言う文化圏と、 国土そのものの広さの圧倒的差みたいなのが、 今、まさに生じてて、 ちょうどいい談合感みたいなのが、 確実に失われつつある上に、 希釈率が上がる事で、 単純にそれが否定の対象になっている。 そこへきて、 花形装飾活字のローカライズの失敗。 失敗と言うよりは、 その距離を日本的に捉えた結果だったのかもしれないけれど、 もう少し、 花形装飾活字そのもののエッセンスと、 自分達が作った活字をよく理解すべきだったように思います。 そこに気付かないまま、 歩み寄ってしまったもんだから、 現在のような表面を掬い取るような、 西洋的、 最先端の押し売りが正しいように見えてしまう。 わかりますかね。 何かが違うと思いませんか?? つまり、 違いというのが「水草」な訳です。 その真相に、 僕達が歩み寄ってしまった結果と相違があるという事です。 あまりにも見誤っていると思いませんか? 重要な事は、 文化が幾つもあるという認識を持っているという事実があって、 それが花形装飾活字を本来の位置からずらして見てしまっている現実が、 分野は問わずに取り巻いているという状況にこそある訳です。 その上で一度、 視点を狭める必要があると感じました。 花形装飾活字と印刷のみの関係を重視する事で、 日本における印刷との関わりを、 もう一度考えて、 単に印刷という状況を作り出すのではなくって、 その事象そのものを、 花形装飾活字とした方がいい。 それが「水草」です。 まだ続きます。









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