私のグラフィックデザインについて [視覚情報デザインとしてのグラフィックデザイン―インターフェイスとしての可能性―]

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東浦 理沙
名古屋市立大学 芸術工学部 デザイン情報学科4年在学
グラフィックデザインを専攻し、主に商業デザインとしてのグラフィックデザインを学ぶも、タイポグラフィや情報デザイン、インターフェイスデザインに興味をもつ
「Futurised City」
http://crystalia.oboroduki.com/
で暁儚(あかつき はくな)により活動中。
twitter
@akatsuki_hakuna
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私のグラフィックデザインについて
[視覚情報デザインとしてのグラフィックデザイン―インターフェイスとしての可能性―]

―序章
「私のグラフィックデザイン」。これまた良題だな、と新・花系装飾活字水草の文章での配布条件を確認させていただいたとき、単純にそう思った。なぜならば、それは自らのなかで議論の終着点を迎えねばならない、終わらせなければならないと考えていたことであったからである。そして更に、このような機会に出逢えたことを嬉しく思い、ささやかで稚拙な文章ではあるが、批判や意見もどしどし受け止めたもうという思いであるので、しばしお付き合いいただきたい。

.私とグラフィックデザインについて
 まず私自身のことから話させていただきたい。私は現在大学の4回生で、グラフィックデザインを専攻している。専攻していると言っても、履歴書に書けるのは「デザイン情報学科」までである。何故かというと、大学で携わることの出来る分野がとてつもなく広く、言ってしまえば広く浅く学ぶという方向性になるからである。何かひとつの分野ばかり専攻しているのではないのである。総合デザイナーを目指すだけあって、分野も、芸術もデザインも工学もすべていっしょくたである。毎年ある前期後期2回の実習も、2回生から分野を選び取り組み、研究室に所属するまで自らの研究分野を特定することなく学ぶことが出来る。こういった大学の環境があるからこそ、急にひとつの分野に学びたい方向を特定することは難しい。私も3回生の研究卒配属の際は随分と迷ったものだ。そこで何故最終的にグラフィックデザインの教授に師事することとなったかというと、私が一番興味を持っていたし、技術的にもやっていけそう、と考えたのがグラフィックデザインであったからである。その頃の私は、「イメージ」としての装飾的な意味合いでしかグラフィックデザインを認識していなかったと思う。しかしこれは後に自らの意識を変えなければならないということにも繋がってくる。

 もう一度重ねて言うと、私はグラフィックデザイン学科でも、はっきりとしたグラフィックデザイン専攻でもない。さらに言えば、所属している大学は美大・芸大ではなく、所属している学部は工学部に近い。これが何を意味しているのかと言うと、そもそもグラフィックデザインに対する基本教育は格段に乏しいと言っていいと思う。なぜならばそれは私が3回生になるまでグラフィックデザインの教授がいらっしゃらなかったこともあるし、大学の教授の方が様々な分野にまたがって研究されていたことも要因のひとつである。つまりグラフィックデザインっぽいことはやっていたと思う。ただしそれは、近年のDTPソフトの発達における技術的な面からのアプローチであって、簡単に言えばソフトを使いこなすことが出来れば、表面上見るに堪えないものは作るのを避けることが出来る、ということである。あくまで「グラフィックデザインっぽいもの」である。私の師事している教授も嘆いておられたが、現在ではコンピューターやソフトウェアの技術の発達のおかげで、誰でも簡単に出来上がりのイメージを得ることが出来るようになった、ということである。これは印刷の問題にも結びつくものであろうが、手書きのアナログで勝負しなければならない時代では、1mmのズレやカーブを直すとすれば、全てはじめから書き直しであった。また、背景の色などを決定する際にも、一旦決定した色を変更するとなれば、自らの手で塗り直しである。そこをコンピューターであれば、1クリックで変更・修正がきき、容易にイメージの吟味が出来る。つまり、これらのテクノロジーによって、デザイナーを志す人々の判断が鈍ってきている、責任を取れなくなってきている、ということである。何が美しいか、何が整頓されているか、何が最も適切か、という判断を、デザイナーが自ら判断出来なくなったとすれば、それはもうデザイナーとは言えない。こういった面からすると、デザイナーというものは上記のような判断をするために、何が優れたものか見極める目を養う、あるいはそういった作業をしていく、という工程をないがしろにして端折ってはならないと思うのである。私自身がコンピュータに触れながら育ち、そういった訓練をしていない立場であるというのは隠し通せない事実であるし、またそれも恥じている。しかし恥じているからこそ、余計に事の重大さを身をもって実感しているのである。デザインは、グラフィックデザインを含め、決して表面的なものではないし、表面的に綺麗事を並べただけでは何も響かない。コンセプトや機能、社会的役割や貢献、また時代性や歴史などさまざまな要素を内包しながら、与えられた問題を解決するための新たなアプローチであり、整理して最も伝えたい部分や機能だけそぎ落とすもの、あるいは作業であって、それは「デザイン」という作業ではないと思う。私の友人曰く「デザインは愛、アートは恋」だそうだが、誰かの為に何かしてあげたい、解決してあげたい、と強く感じた時に、従来のやり方を見つめ直し、より目的に近い形に整え直す過程や結果がデザインであり、「デザイン」をやりたいと言うよりは、デザインというものは後からついてくるものだと思う。結果的にデザインになっているだけであって、本質的にデザインに近いものは世の中にたくさん存在すると思う。自戒も込めて、表面的に飾ることがデザインではなく、世の中にデザインに携わることが出来るものはいっぱいあるよ、と。もし本当にデザインに携わりたいと思うのならば、一切の先入観を捨てて、身の周りに転がっている小さな問題を、自分の視点で解決することからはじめてみることをお勧めする。その際に必要であった現在の状況確認及び問題解決のプロセス、解決の視点、そういったことを日常から考え、なぜそういった解決の手法を取ったのかを見つめ直す習慣と言うか癖をつける。それがデザインという考え方、解決の仕方なのではないかと。大分話が逸れてこのままだと脱線して乗客に迷惑をかけてしまうので、話の論点をグラフィックデザインに戻すことにしたい。

. グラフィックデザインとは何か―−今後の方向性について

 さて、話が「デザイン」とは何か、という話に逸れてしまったので、本題の「グラフィックデザインとは何か」という話に戻らせていただく。ここでは、就職活動を終え、社会人への不安と希望を膨らませているという立場の私が、学生生活のまとめとして、これからどういった方向でグラフィックデザインに関わっていきたいか、グラフィックデザインに学んだ何を応用していくか、ということを中心に話を進めていきたいと思う。

 私のデザインに対する考え方や、今後どう付き合っていきたいかという方針を考え直す機会をいただけたのは、他でもない就職活動であった。先程述べた通り、私が所属していた大学は工学部よりである。コンセプト重視である。もの作りに対して、出来たものでどうこうと言うよりも、出来るまでの情熱、あらゆるシーンを想定しながらの完成までのプロセスを楽しんだもの作りが得意という立ち位置である。立場的に言えば、これも就職活動を通しての感想であるが、制作よりも企画側が多いように思う。学部が“感性だけでなく、人間工学などの人間中心設計からのアプローチ及びデザイナーとエンジニアの橋渡しのような存在”を輩出したいと宣っているだけのことはあり、迷いに迷った結果、やはりこういった立場で卒業していく先輩方を拝見して来たので、私自身も最終的にこのような立場で貢献したいと思うようになるのも自然なかたちではないかと思う。未だ私が、グラフィックデザインとは何かを考えることもなく就職活動を始めた頃、グラフィックデザイナーと名のつくものは片っ端から受けた。印刷会社、広告代理店、出版及びエディトリアル、パッケージ関連会社、等……。つまり、「グラフィックデザインっぽいもの」をやってきたせいで、産業的社会的にグラフィックデザイナーが必要とされているところ、を探してしまったのである。無理もないと思う。実習ではグラフィックデザインと言えば広告以外にピクトグラムやタイポグラフィも少しかじったけれど、残る影響先は巷に出回るポスターなどの広告物、雑誌、ロゴなどの、いわゆる商業デザインが大半を占めていた。特にアナログでの1mmの致命的さを実感したことのない私は、グラフィックデザイン=印刷デザイン、表面的な装飾、イメージ作りという観念がはびこってしまったのである。実際フォトショップやイラストレーターなどのDTPソフトでイメージを作り上げることはこのうえなく楽しいし、本業にしたいともずっと考えてきた。しかし、ここで疑問にしたいのは、このように考えて作られた広告などが、本当に人の役に立っているのだろうか、ということである。すべて一過性のものであって、見たら終わり、であり、何の機能もナビゲートも持ち合わせていないのではないか、という危惧が私のなかに芽生えて来たのである。もちろん広告戦略にコンセプトイメージは欠かせないし、実際消費者としての立場からすれば、そういった商業的なグラフィックデザインも必要である。だがしかし本質ではないと思う。本来グラフィックデザインというのは、人間が情報として多くのものを得る視覚情報という観点からのファーストコンタクトであり、そこでどれだけ人をナビゲート出来るか、ということだと思うのである。そういった点からすると、サインやロゴ、タイポグラフィなどは比較的商業デザインのなかでもグラフィックデザインの本質に近いとも言える。

 未だ私のなかでもはっきりとした位置づけは出来ておらず、自らの判断で壁を作ってしまった上での議論であることは重ねてお詫び申し上げたい。だがしかし、ポスターにせよ何にせよ、必要な情報が優先であり、伝えたい順に視線誘導をさせることが可能であり、付随的なイメージは必要でないばかりでなく、本来伝えたい要素を阻害してしまう、ということである。伝えたい結果に差異が生じてしまう。もっと言うなれば、デザインとは自らの存在を消すものであるべきなのではなかろうか。デザイナーの方もよく言われていることであるとは思うが、万人に共通に情報を伝達しなければならない際に、ひとつの固定した捉え方からのアプローチは避けねばならない。ユニバーサルに伝えなければならないのである。何ひとつ知識を持ち合わせていないユーザーにも、視覚情報ですぐに理解出来るようにナビゲートする、これがグラフィックデザインの本質ではなかろうか。それと同時に、グラフィックデザインはある解決に対してその問題が起こった歴史や時代性、時代背景等様々なものを内包し、それを凝縮して伝えなければならないのである。

 そこで私がグラフィックデザインの本質に近いものとして興味を持ったもののひとつにエディトリアルデザインがある。タイポグラフィとも呼ぶべきものであるが、エディトリアルデザインは、特に伝えたい情報を選別しユーザーをナビゲートする役割を担っていると思う。コンテンツは、写真等もあるけれども基本は文字情報である。この文字情報をいかに読みやすく読ませるか、また読みたいと思わせる言葉にするか、読んで欲しい順にナビゲートするかは設計者の手にかかっていると思う。そこから、紙面の構造設計という観点でスイスのグリッドシステムやら、ヤン・チヒョルトやら、エミール・ルーダー、そして花系装飾活字という具合に先人達の知恵を拝見してきた。この紙面の構造設計に命を懸ける先人達の試行錯誤のなかに、まさにグラフィックデザインの本質が垣間見えたような気がしたのである。
 しかしここで私がグラフィックデザインを将来的に発展させたい分野はエディトリアルデザインではない。もっと言うと、印刷や商業の分野ではない、と言った方が正しいかもしれない。もちろん、ブランディングや広告、パッケージ等のグラフィックデザインに携わることも否定しないし、重ねがさねこれは私の一意見である。であるが、私はグラフィックデザインに「機能」を求めていきたいのである。この考え方に基づくのならば、印刷は阪口様や印刷の余白Lab.の野口様の仰られていたように、技術からのアプローチ、すなわちひとつのプロダクトとしてのアプローチであるならば、紙質やインクの感触など、そこに機能を求めることも出来ると思う。だが、私が携わりたいのは印刷ではなく、「インターフェイス」としてのグラフィックデザインである。

.インターフェイス、そして情報デザインとしてのグラフィックデザイン
 「インターフェイス」としてのグラフィックデザイン。それはグラフィックユーザーインターフェイスであり、何らかの機能を持ったシステムや機器の機能を視覚や触覚によってナビゲートするものである。単に見せて終わりの一方的なグラフィックデザインではなく、よりインタラクティブなグラフィックデザインの在り方、情報を伝える相手とのやり取りが出来るようなグラフィックデザインの方向性というものにこれから命を懸けていきたいと思うのである。そこには過剰な装飾は必要ない。より正確にナビゲートすることが目的である。けれどそれって、本当はグラフィックデザインという観点から私が一番やりたかったことじゃないだろうか。

 突拍子もなくインターフェイスという考え方にいった訳ではない。グラフィックデザイン、ヴィジュアルデザインの未来を考えた時に、参考にさせていただいた資料などから見ても、グラフィックデザインが扱われる媒体が、単に紙媒体だけではなくなってきている、ということである。デジタルサイネージなどの液晶だってある。紙という選択肢をとっぱらってしまった時に、ディスプレイという観点からすると、画面の素材も大きさも関わり方も多様になってきているのである。「ヴィジュアルがあればグラフィックデザインがある」のである。ウェブで言えば、私たちが関わる紙の多様さと同じくらい、今後はブラウザも多様になる。その画面が紙媒体ではなく電磁媒体に増えることで共通するのは、インタラクティブ性が必要であること、渡して終わり、の画面(ディスプレイ)ではなくなるということである。必ず見る人=使う人であり、そこには操作性や人間中心設計等の問題が関わってくる。また、私たちには「10〜20インチ」で人と同じように仕事をするのではなく、1インチか72 インチの世界で勝負していかなければならない、という問題もある。それだけ、ヴィジュアルが関わらなければならない画面が素材・大きさ共に多様になってきており、72インチのコンピューターで上の方にあるメニューボタンが果たして見やすいのかどうかという問題等、画面の大きさとそれを見る、あるいは使う人との関係性を考慮した上でのヴィジュアルデザイン、視覚情報デザイン、これぞまさしくグラフィックデザインの腕の見せ所ではないだろうか。ただし、こういった機器のインターファイスデザインには、認知心理学やユーザー心理、人間工学などの知識や実証ももちろん必要である。しかし、工学的、理論的な実装だけではなく、そこに人とのコミュニケーション、ソフトウェアと人の対話を生み出す感性工学的なエッセンスがあって、そこからその分野に入ってみても良いのではないだろうかと思うのである。

 話はグラフィックユーザーインターフェースだけでなく、ウェブにも当てはまると思う。ウェブに関してはインターネットが活発に利用されるようになった頃から触れてはいたが、やはり近年の技術の進歩は目覚ましく、Flashなどの普及によりインタラクティブなサイトも珍しくないまでに至った。だが、どこまででもとめどなく情報をのせることが出来る莫大なメディアの為に、もはや収集がつかず、何の為のウェブサイトなのか、ユーザーに何を求めているのかわからないサイトも多数存在する。ウェブサイトの目的も、ユーザーに必要な情報を選りすぐってナビゲートすることである。最近ではIA(インフォメーションアーキテクチャー)やUX(ユーザーエクスペリエンス)など、ユーザーに何を体験させるか、そのサイトに訪れるユーザーにどう行動してもらうか、それをユーザーに合わせてナビゲートするという考え方に重きが置かれている。ユーザーの検索行動やペルソナ手法など、ユーザーのことを考えた情報デザインと言う訳である。なるほど、このような考え方を聞いてはじめて、ウェブという莫大な存在のなかに一縷の光を見いだしたかというか、ウェブサイトの果たすべき役割というようなものが見えて、また、そこにグラフィックデザインの使命のようなものも同時に感じられたのである。ウェブサイトは電子機器等のグラフィックユーザーインターフェイス等とも違って、画面設計の自由度は比較的高いと思う。そうであるからこそ、「ウェブデザインの95%はタイポグラフィ」という、賛否両論ではあるがINFORMATION ARCHITECTS INC.の方が仰っていたことも、私はわりとすんなりと受け入れられたのである。これは私がどうにかウェブデザインとグラフィックデザインの共通点、果てはグラフィックデザインとインターフェイスデザインを結びつけるべく苦肉の策で結びつけた事象かもしれないけれど、「あぁ私の方向性は間違っていなかったんだ」と確信した事象なのである。ここで、私が重ねて確認しておきたいのは、グラフィックデザイン=イメージのデザインではない、と考えていることである。私の考えるグラフィックデザインとはデータを情報に変える、人々に有用な情報に変える為に行う作業であり、方法であり、情報が文字情報のみだとしても十分通用すると思うのである。情報を視覚的に変換し提供することが大事なのであって、そこにはタイポグラフィと同義なのだけれど、その変換役の鍵を握る設計がグラフィックデザインなのではないだろうか。この場合、視覚デザインというよりもほとんど情報デザイン及び視覚情報デザインと同義である。それは認めよう。少し視覚デザインという本来グラフィックデザインと同義の立場からの話を省いていたが、視覚デザインと言えど伝えたい情報を視覚表現によってナビゲートするのであるからして、ただの過剰な装飾を、イメージを、私は視覚デザインと言うのではないと思うのだ。情報デザインにしたって、情報を通達するのは、触覚や聴覚など、視覚以外にももちろんある。しかし人間が一番多く情報を取り入れる視覚情報をないがしろにして、他に何を優先すべきか。支離滅裂になりかけてしまっているのでそろそろまとめとしたい。

―終章
 長々とお付き合いいただいたが、要はグラフィックデザインがとても大好きである、ということである。尊敬してやまないし、これさえあれば生きていけるといっても過言ではない。ただ、広告としての、印刷物としての、商業デザインとしての、ただの「イメージ」としてのグラフィックデザインが光を浴び、全体像として認識されるのは少し違うのではないかと思うのだ。グラフィックデザインにも人と対話して欲しい。見る人、使う人と対話して欲しい。機能や役割を果たして欲しい。そんなグラフィックデザインの価値向上、市場向上への願いを込めてなんとかここまで辿り着いた。論点が前後左右し、とても読めた文章ではなかったことをここに深くお詫び申し上げたい。稚拙な考えではあるけれども、何かひっかかっていただけたら本望である。批判でももちろん構わない。来春から私はWebデザイナーとして社会人をスタートさせることになろうが、グラフィックデザイン、視覚情報デザインの観点から、より使いやすい画面設計を心がけ、今後も精進していきたい。

参考文献
世界グラフィックデザイン会議・名古屋 全記録「VISUALOGUE:the book」宣伝会議 2006年
IA100 ユーザーエクスペリエンスデザインのための情報アーキテクチャ設計
長谷川 敦士/著 株式会社ビー・エヌ・エヌ新社 2009年
インターネット参考文献
「ウェブデザインの95%はタイポグラフィ」
http://informationarchitects.jp/ja/the-web-is-all-about-typography-period/










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