花形装飾活字を愛でる その167



クオリティについてです。とりあえずドドーンと拡大画像。なんでこれがエンスヘデに寄ったという表現をしているのかの1つの答えです。もちろん表現としてのコンセプトとしてのデザインは重要ですが、そうではない、もっと物質に添った考えをするなら、今回の「fuji」は水草よりもエンスヘデにしたと言えます。まず、彫るという作業をアウトライン上で行なった事と、曲線の在り方として、ググッとエンスヘデのものに近い仕様になってます。彫りのぐら付きやガタツキを「再現」ではなく、本当にそうなったという程度の感覚としての彫りを目指しました。水草との比較としては、それが1つで成り立つように版そのものを曲線として完結させています。意識したのは真円で、設計の段階で四角の版ではなく真円を描き、それを版として設計をしました。なんというか、活版としての機能面は置き去りにしつつ、やはり技術という側面においては現代にコマを進めるべきだし、活版という制限から生まれた産物であるにしろ、それは制限する人の意志に委ねられるまでの自由を得た今としては、そこにこだわる理由は無いと判断したからです。要するに暴力的に書けば、活版なんて時代遅れの技術にこだわるつもりもないし、だからといって、過去の技術を捨て去る勇気も無いという具合です。何を拾って、何を捨てるか、そして何が新しい要素かをキチンと、どれだけ見極めて意識して設計するかで、この花形装飾活字は深度を変化させる訳ですが、「fuji」に関していえば、結構、大胆に切り捨てを行なったと言えますし、何が必要かという意味では、かなりピンポイントで選び取れたように思います。結局のところ装飾でしかないし、元を正せばホントそれだけの事なんだけど、ただ1つ言えるのは、これはクリエイティブではないという事でしょうか。どちらかというと、やはり印刷の一連の作業に似ていると感じます。図案があって文字があって、それに付随する技術で、紙を選びインクを選び、目的に合わせて刷っていく。この花形装飾活字というのは、その印刷という技術の一旦であり、目的を意識しないで技術や研究といった概念のみで構築した際に、「fuji」という存在は、その一方の到達点であるような気がします。つまり、これはクオリティとしての分岐点でもあって、このまま、歴史や技術を継承したものを追及していく事も出来るし、現代のシーンに合わせた利用の実験的制作も可能なんですね。「fuji」の版そのものとしての完成は追及と利用の丁度中間地点にあるように思います。と、版そのもののクオリティについて言及しようとしていたんだけど、遠回りになりつつも、どんなもんでしょう。「fuji」そのもののクオリティの在り方と位置については伝わりましたでしょうか。そりゃもう品質という意味では、まったくからして自信を持って贈らせていただいております。そんなの書いてもしゃあないですしね。版、1つずつの目的、完成度は非常に素晴らしいと自負しています。見た目も美しさも。どっちかというと今回は可愛い感じにも仕上げているんですが、エンスヘデのやつよりかは、重くない感じを目指しましたし、かといって、水草よりかは装飾色の強い設計になっています。ルールも単純だし、見た目こそシンプルですが、まず実際に組んださいの使用のバリエーションに驚かれると思います。とりあえず花形装飾活字というものの要素は、ボクが今まで研究してきた発見や気付きも加えつつ、良い部分の全てを託した、新しい試みではない、継承という意味での、まったく新しい花形装飾活字です。まあ、まずは見てみろよな。是非使ってみてください。









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