花形装飾活字を愛でる その178

可能性についてです。もしくは、これから行なう研究の方向性についてです。ボチボチ書いてはきてますが、個人で行なう研究という単位については、限界を感じ始めています。花形装飾活字と、そうでない境界線みたいなものが薄っすら見えてきて、何が花形装飾活字なのかという深度が明確にはっきりしてきました。次に起こす行動として、これらをより確信に近づける為のものをと考えています。そもそもの花形装飾活字という研究の始まりは、これが一体なんなのか、謎の魅力を放っている不思議な物体に対して、紐解き、「知」としてそれを知る事にあります。「もの事を見てから、イメージをする。」その手法を、花形装飾活字を用いた上で、より深き深度で行なう事が、この研究の第一の目的でした。それをもっと確定的なものにしたい、加速させたいという思いがずっとあって、同時に、個人でやる研究に行き詰まりみたいなものも感じていました。まあ、だいたい花形装飾活字は分かったし、もういいかなーと思う心が半分、いやいや、まだまだ可能性に溢れていて、研究する価値があるんじゃないかなという想いが半分な気がしています。今も実際そうなんだけど、どうせなら、そのぽっかり空いた半分の、もういいかなあという心にかけてみてもいいと思ったんですね。つまり、手が空いたって事だよね。今まで両手じゃなきゃ出来なかった事が片手間でよくなったと考えた方が良いと感じた訳です。それが全てだって訳じゃないけれど、単に辞めるってのは面白くないよねという話でもあるし、せっかく得た、花形装飾活字作れるという希少な技術を、このまま捨て置くのはスゲーもったないと自分で思ったし、最近、周りからそういう事を言われ始めてもいて、作った花形装飾活字そのものの、知的財産の所有や、特許や著作権的な在り方は難しいけれど、この作れる自分と言うのは、自分しかいない訳で、そういう事に翻弄されるくらいなら、やっぱ、ガシガシ作る続けたいという気持ちが勝ったという具合です。この花形装飾活字を「所有」するのは僕ではない方がいい。これを持つべき人間は他にいるてなもんだと思ってます。だってそれがグラフィックデザインだし、グラフィックデザインの使命というか在り方と、花形装飾活字重ねるなら、そこらへんも、ちゃんと考えなアカンというか、すぐにも行動に移すべきだなと考えました。なんで、こんなにグラフィックデザインは「消費」して「捨てられる」対象になっちゃったのか、ボクにとってはグラフィックデザインを始めた当初からの疑問でした。10年という時間が経ったけれど、何も変わっちゃいない。変わるどころか、そのスピードは加速されていくばかりで、物事は悪い方向に進むばかりです。1つ、面白い例があります。ボクがデザインを担当させていただいたWEBサイトがあります。そのWEBサイトは8年間、一度もリニューアルをしていません。システム的な中身はリフレッシュを繰り返していますが、「WEBデザイン」を一切リニューアルせず、ずっと使っていただいています。むしろ8年間、広告の要として使っていただいています。果たしてデザインの「古い」は使い捨てられる「古い」でしょうか。物質としての「古さ」や、技術としての「古さ」のようなものは擁護する事は出来ませんが、デザインとは何か。その答えとともに、花形装飾活字の可能性があるような気がしています。









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