装飾することばとたましい

香川文(かがわかざる)
Ornatus. www.kazaru.info
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「文」と書いて「かざる」とよむ名前をつけてもらった。この名前については、いままで折々に説明せざるを得ない場面があった。はじめてお目にかかる方とのおしゃべりの初回は、たいてい自分の名前のネタでおわってしまうというパターン。名前の由来、珍しさ、珍しさとは逆に、わたし以外にも同じ名前の方の存在を伝え聞いている数名についてなど……。ただ珍しい名前だというだけで、自分が「かけがえのない」人間だということをかなり楽に、もしかしたら安易すぎるくらいに感じさせてくれた。それと同時に、名前については過剰な自意識みたいなものまでも育ててしきてしまったような気もする。自分の人生にかなり大きな影響を与える「名前」に関するいちばん重大な決断、つまり、どんな名前をつけるかということは、生まれる前に、つまり自分の意志が及ぶはずがないときにくだされた。わたしは、自分の名前はもちろん嫌いではない。けれど、そもそも子どもである自分は両親がつくってくれた舞台でしか生きられないものなのだということを、名前について考えることをつうじて、じわじわと感じてこざるを得なかった。よくもわるくも、この名前のおかげで名前の持つ暴力的な部分だったり、誰かに名前を呼ばれるたびに自分の背筋が伸びる力をくれるような、そんな、「名前」が自分と世界の関係をつないてゆく瞬間を、ほかの人よりも強く、体感しながら成長してきたかもしれない。

2009年のおわり、ちょうどいまから1年ほど前のことだ。鶴岡真弓さんの『装飾する魂―日本の文様芸術』という本をぱらぱらとめくっていたとき、オルナトゥス[Ornatus]というラテン語をみつけた。「オーナメント」の語源となっていることばで、装飾という意味。書誌データに登録されているこの本の別タイトルが、Ornatus Japonicusでもあり、装飾をテーマに文明論を展開している鶴岡先生にとっては、とても大切なキーワードであろうことは、想像に難くない。
この単語を発見(!)したのが、独立開業のタイミングと重なっていたこともあり、自営の屋号を届ける際には[Ornatus]そのままを借りることにした。…この名前、領収書をもらうときも、名刺交換の時も、じつに口頭では説明しにくいしろものだ。むしろ、30年来面倒をかけ続けられてきた「文」という名前がいかに説明しやすいものだったかを実感することになった。「『文章の〈文〉』と書いて〈かざる〉と読みます」という、2つの情報があればたいていの場合は伝わる。しかし、[Ornatus]の場合、まず名刺を渡す(スペルを口頭で説明するのは至難のわざだ)。つぎに、この耳慣れないラテン語をまず読み上げる。さらに、装飾という言葉の原語であるということを説明する。必要に応じて、オーナメントという派生語を参考情報として提示してみる。場合によっては、鶴岡さんの本について説明する…。
自分で選んで決めた名前なのにもかかわらず、何の計算もせず、戦略も持たなかったため、非常に面倒だ。装飾という言葉の印象どおり、このままでは、本当にあってもなくてもいい、ただの体裁を整えるためのものになりかねない気もしてくる。ここから先に書くことは仮説だけれど、もしかしたら名前なんて、そんな程度ものなのかもしれない。自分の名前にこれだけこだわって生きてきたところから一回転して、独立してからこの1年のどたばたを振り返ると、とくに屋号というものに関していえば、複数の人が関わって参加する屋号、しかもM&Aにともなう組織の結束とか、社員が拠り所にするアイデンティティとかの問題が発生しないかぎりは、屋号の名前なんて意外とそんなものなのかもしれない。名は体をあらわすとはいうものの、名前を知ることと、その存在について体験し理解することは、本当にほど遠い。さらに屋号をもってそこで仕事をし続けていくとなると、もっと大変なことの連続だと、身をもって経験しながらいまは毎日、働いている。その日々の実務に比べれば、そもそも「名前」じたいが、かざりもののようなものなのかもしれない。自分の存在を示し、認めてもらうサインや看板として一生掲げ続けなくてはならない「呪い」のようで、どちらにせよ逃れられないものだ。でも、それでも同時に、人間であれば、親やそれに相当する存在が子どもへと贈るもの。その子がどんな人生を歩むかが知られる前に付与される名前は、未来にむけて放たれているオーラのような、不確実だけれど、名状しがたい説得力があるなにかとして。名前とは、何にもまさる祝福でもあるのだと思う。

まず花形装飾活字を使ってみたいのは、自分の便箋。できれば一筆箋をつくろうと思う。ひとことでもいい、でも、なにか書かずにはいられない、そういう時に、何行か文章を添えて、大切なひとに贈りたい。つまり、すでに何か文章があり、決まった言葉に添えられたデザインとしての花形装飾活字ではなく、そこに書かれる言葉を待つ装飾活字。その、わきたつような気持ちを表現してくれるかもしれない……。……と、いま考えながらこの文章を綴っていたが、もうすこし冷静に考えると、この花形装飾活字が入ることで、逆にもうすこしピシッと堅い言葉や、礼節や、高潔なものを表現したいのかもしれない。いずれにせよ、自分の力で文章に書けることには限りがあるとわかってきて、ほんのすこしでもその限界を超えてみたいと思いながら仕事ができるようになったいまだからこそ、わたしのいまの感情や、コントロール可能なアタマでこねられた理屈ではないものではない、書き残されるべくどこかで待っている言葉たちの叫びを、引き出してほしいということを、花形装飾活字に期待してみたいのかもしれない。

装飾というのは、わたしにとって、装飾されるもののたましいが持っている根源的な引力みたいなものが、あらわれてしまった、熱気を帯びた湯気みたいなものなのかなと思っている。エンスヘデ花形装飾活字の全てのすがたをはじめてみたときに、いまある文字が、みずからの存在ために発達させてきた物語という言葉のシステムの中で失いつつある「理屈になることがない、存在そのものの力」を、この装飾活字こそが表現しているようにも見えた。それは、わたしが「文」という文字で名前を付けられながら「あや」でも「ふみ」でもなく「かざる」という非論理的な意味を込められてしまったことを体現することに過剰にこだわっている、その作業が、エンスヘデのアトリエとつながっているように錯覚してしまうこの気持ち――何の根拠もない、パーソナルを掘り下げすぎた極限に近づくためのなにかを表現するために、花形装飾活字の姿をかりなければならないような気持ちになっている、それだけのことなのだと思う。

文字を読むこと、書くことの楽しみは、ものごころつく前から味わってきた。父親がモンブランの万年筆で日記を書いている足もとにうずくまって、絵本の文章をクレヨンで横に書き写して、文字を覚えた。文章がかけるようになると、パートをしていた母親との交換日記をしたこともあった。誰かが自分の文章を読んでくれる可能性に味をしめ、自分で書き散らすことに飽き足らなくなると、読者を探した。鏡文字だらけの手紙を、毎日のように幼稚園の先生に届けた。小学生になると、原稿用紙の上で試行錯誤する時間が大好きになった。パソコンを覚えれば、ワープロソフトの上に活字が自分でならべられ、レイアウトできることに熱中した。ほんとうはそこがなにかの岐路だったのかもしれないが、どちらかというと文章を書くことへのこだわりが強かったからか、デザインというものにみずから本格的に手を出そうとは思わずにここまできてしまった。それが、こうしてひとりで仕事をはじめるようになってからは、そうもいかなくなってきたのだ。実際のところ、自分のメッセージを伝えるために必要なビジュアルの予感は文章を書いているときからわりとはっきりと見えているのに、それを形にする手間を避けるために、デザイナーという職能ではないということをいいわけに、文章がどこかへ届くために必要なビジュアルのインタフェースに携わる面倒からは、逃げてきただけのような気もする。花形装飾活字を使ってみたい、と思ったのは、その作業に手をかけるきっかけになりそうだというあてどのない希望みたいなものだ。この図案を見てはじめてうまれかけたアイディアたちを、そろそろ世に出して、花咲かせる手伝いをしてみたい。偶然開いた本が示してくれた[Ornatus]という古い言葉に導かれるように、装飾活字と一緒に、仕事をするのもきっと悪くない。

謝辞
花形装飾活字を知ったのは、同じくこのエンスヘデ活字鋳造所花形装飾活字に文章を寄せている野口尚子さん(印刷の余白lab.)がきっかけでした。また、この文章の最後に書いた、わたしにとってのデザインとは「自分のメッセージを伝えるために必要なビジュアル」であるという考え方は、まだ独立して間もなかった彼女のオフィスで、わたし(=香川)がもし独立したとして、本質的にやりたいことがあるとしたら…という夢を妄想しながら語った、とりとめのない考えに耳を傾けてもらったある深夜のおしゃべりのなかで、はじめて言葉になったコンセプトです。あれから3年、彼女は強力な磁場みたいなものを発しながら、おそらく彼女にしか表現できないつながりを業界の中で(外でも・笑)大切にしながら生きています。こうして独立してみると、そのことに必要なエネルギーが想像していた以上のものであることに気付かされています。おそらく、今回のこの文章は、彼女の仕事や、言葉のはしばしにあらわれる知的活動への敬意と、それを垣間見るきっかけになった文章を彼女が寄せたfeng
feel designによるこのプロジェクトの仕組みそのものへの、ラブレターのようなものだと思っています。ありがとうございます。










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