花形装飾活字を愛でる その188



そして、パターンそのものを作る事をパターン化する目的で作ったのが「imagest」。これはパターンからの自由を求めて作ったのだけど、結局これも装飾のパターンを構成するところに落ち着いた。自由にする事で世界観や時代観からの脱却を計ったのだけど、それさえもやはり装飾にする事でパターン化され、統一化される事になった。それに比べてルールに縛りまくった「エンスヘデ」の方が、何故か自由に溢れていた。あ、「imagest」値段が高い!という声を聞くんだけど、あくまで「エンスヘデ」基準なのであしからず、あんなのが1万とかそこらで手に入っちゃいけないし、10万でも安いくらい。それが文章を書くだけでゲット出来るってんだから、あーた!と、話を戻して、そうその「エンスヘデ」の方が自由に溢れていて、そういう意味で「imagest」は実験だったんだよね。もちろん完成という前提です。イメージにおいて、装飾において、自由とは開放ではなかった。たしかに自由度は上がるが、それはパターンから逃避でしかなかったんだよね。開放かと思ってたんだけど、取り除いただけだった。というか取り除いたらどうなるか見てみたかっただけなんだけど…。装飾においての自由とは、圧倒的な世界を作る事、ありとあらゆる思考で仕組み、全てにおいて配慮する事にあったんだよね。この3つが合わさったのが花形装飾活字だと定義していいと思うし、ポイントはなによりも配慮するというところにあって、世界を作る事や仕組む事はどちらかというと、時代や作る意図や技術の部分でもあるし、もちろんそれだけでも花形装飾活字という定義は維持されるんだろうけど。なんというか花形装飾活字とは使うという事を目的にした、プロダクトに近いような気がしたんだよね。実際のところ「エンスヘデ」よりも「imagest」の方が使いやすいというのを言う人が多いのは、おそらく感覚としてリアルタイムじゃないのと、使う人間の技術の底辺の在りどころが変わったから。昔の方が凄かったという事で〆るつもりは全然なくって、ただ、当時の事を知らないで、使うのはやはり無謀というか、当時の発想で作ったものを現代の発想で使うというのは、あまりにも無謀なんじゃないかな。もし現代の共通言語で言うなら、花形装飾活字は「アドビ製品」のようなものだった。ボク達はイラストレーターやフォトショップのおかげで圧倒的な自由を得ているけれど、発想そのものは花形装飾活字となんら変わりがないんだよね。ただ、この論は境界を無くしすぎている感じもあるので、結論とはしないけれど、何を完成とし、技術とし、それらがどう使われていくのか、シーンとニーズで考えた場合に、イラストレーターやフォトショップによって、パターン化されたモノ作りを行なっているだけなんだよね。どんなにそれがオリジナリティに溢れていようとも、なんとも凄い色々出来る機織り機を使っているに過ぎないわけで。でも、それがダメって事じゃないよ、とくに否定する訳じゃないけれど、花形装飾活字も同じ位置にあると決めてしまった方が使いやすいし、作りやすいという一面があるのも確かなんだよね。装飾の時点で既にパターン化されたものなんだから、そのパターンを複雑にシステム化し、より自由に使えるように作られたツールが、花形装飾活字でいいと思う。むしろ、この花形装飾活字でテイストがどうとか喋るのはどっか違う気がしてて、なにをサンプリングして花形装飾活字化するのかという事を考えた方が、捉えやすいんじゃないかな。という事はシステムさえ決めてしまえば、それをパターン化し、装飾のみを変えて作りあげる事が可能という事になる。つまり、花形装飾活字の可能性であり、そこがスゲーとこなんだけど。個人的には、装飾を考えるというよりかは、その仕組みや配慮の仕方を考える事の方が好みかな。で趣向で装飾を決めている感じ。この別軸感は花形装飾活字を使う上で保った方がいい。









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