花形装飾活字を愛でる その195



なんだかんだいって、初めてのOLDTYPE001を仕事で使えるチャンスに恵まれまして、あーだこーだと使いまくってます。うむうむ思いの他クルクルする感じが前面に押し出されるのだなあ。出来るだけ軽い感じに仕上げたつもりだったんだけど、まあ、あくまでも想定していたよりもという範囲だけどね…。使っていて面白いなあというのが正直な印象。これは面白いです。圧倒的なルールを与える事で自然と導かれるように組めるという事がわかった。これこそ自由。デザインにおいて自由とは制限を与える事。その行動を際限なるまでに単純化し、考えられる全てを縛る事にこそある。その行動があってこそ、デザインにおいて自由という選択肢が用意される。作るという事そのものは自由であってはいけない。使用にこそ自由は用意されるべきであり、つまり花形装飾活字は「使用=作る」なのだ。作るという行動を自由にするツールが花形装飾活字にはあると思う。ボク達が与えられた自由とは、各種ツールや技術があってこそのものだ。ならば、作るという二次的空想論の中にも、ツールや技術を駆使した構築があっていいように思う。とくにデザインの初動は用意された自由以外の選択肢は与えられない。だとしたら、デザインという目的、技能において必要な事柄を、それらの項目をいかに自由に構築するかに注いだ方が明確に、その使命をまっとう出来るのはないかな。OLDTYPE001そうやって生まれたツールです。何回も書いてしまいますが、装飾はパターンでしかないんだよね。どうしても装飾の美しさや綺麗さばかりが目に付いてしまいますが、もちろん、その観点で使用する事が何よりも望ましいのですが、花形装飾活字というのは、ボク達にそれだけでは装飾と言うのは構築出来ないのだよというのを、物凄く教えてくれます。これは本当に素晴らしい事です。美しいや綺麗を感覚的な部分ではなく、知恵の部分として、それを構築出来る。偶然的に出来たものではなく、何が偶然かをも明確に指し示してくれる。ボクは、このOLDTYPE001を使っていてつくづく思い知らされています。今回、仕事で使う事になって、ここまで仕組まれて計画された装飾である花形装飾活字にとって、何が偶然という要素を形成しているのかというのが、物凄く、手に取るように伝わってきていて、作るとはどうあるべきなのか、グラフィックデザインとはどういう姿勢で臨めばいいのか、まだまだ勉強出来る余地があるのだと確信せずにはいられないのです。作る仕組み、根本。そしてグラフィックデザイン。まだまだこれからです!と言いつつも、やれやれ…この考察はいつまで続くのやらと思いつつなんだけどw









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