花形装飾活字を愛でる その196



うーんうーん何書こうかな。最近、依頼で花形装飾活字を使う機会が増えてて、凄く有難い感じなんだけど(今度ギターの装飾に使うかも)、もしかしたら思っているよりかは、抜きを加えて使ってあげた方が現代にあってるような気がします。エンスヘデのやつにしろ、普通に使うとちょっとしんどい感じなんだけど、少し空間を空ける感じで、2,3個装飾を減らしたりバランスを整えると、なかなか使える感じでいいかもしんないです。その方が、なんか喜んでもらえます。歴史とか正しいとかの理屈うんぬんの前に、ボクの場合だったら作ってあげる人がって事になるんだろうけど、その人と共有する何かが先頭に立ってこそな気がします。なんかこう、底辺がないと主張を繰り返す、なんともエゴなグラフィックデザインが出来上がりがちですが、それが何に向いてのものなのかという点では、ボクのしたかったグラフィックデザインの在り方に花形装飾活字は凄く近いんですね。なんというか、どっちかだと思うんですよ。対象がパブリック的なのか個人的なのかで、それを使う目的や考え方が変わってくる訳だけど、ボクの意識は個人に向いていて、それがなんともハマったんだよね。だからなのかもしれないけれど、収益を所有したくないという姿勢になってしまって、凄く苦労していますwむしろ所有しない収益という在り方に考えは進んでいますが、その収益がボクの生命活動のなんたるかによって左右されないものであって欲しい訳です。それがボク個人のものではないという考え方。重要なのは何が個人の所有であり、それがどのような経緯で手に入れたものなのかという事なのだと思います。お金で買えるものは一見、なんでもという概念がありますが、残念ながら値が付いていないものが価値を付け辛くなるという現象も同時に抱えています。売る側が商品の価値を定め、必要な単位を所有していく。しかもそれにはリスクが売る側に課せられてるっていう。なんの話やねんて感じですが、これがグラフィックデザインが取り巻く、社会や経済の状況に大きな影響があるように思います。もし、この花形装飾活字が活躍する時があったとして、例えばOLDTYPE001がここでは5000円という価値で売っていますが、本来の価値というのはボクが定められるものではないと思います。例えばですよ、これが100円だったら、無料だったら、あなたはラッキー♪と感じて買うかもしれない。そうなった時にその価値が正しいのかというところは、無視しちゃってる訳です。別に50000円でもいいと思う。エンスヘデに関して言えば100000円積まれても売らないみたいな。残念ながらテメーで金作って活動出来るほどに、人の単位として個人が力を付けてしまっている。お金を払うという事は渡した相手に借りを作る事。お金という代用品を使って、物質を所有するという行為。重要なのはお金そのものに価値があるというものではない。価値はモノにこそある。それがつまり花形装飾活字を底辺にしたグラフィックデザインという事になる。お金を払ったあなたは、そのお金でボクの為に何かをしなくてはならない。その凄い広いバージョンが現在の経済ってやつなんだろうけど、広すぎるせいで、お金そのものに力があるように、価値があるように見えてしまっている。だからボクはお金が嫌いなんだ。お金を出せば、それはもうあなたのものだけど、同時にボクに借りを作るというリスクを負っているという事になるから。だからこそ、文章を書いて送って欲しい。文章という一定の価値基準があるものをボクに渡す事で、貸し借り無しの取引が出来る。以前に裏ルートを設置していたのはその為です。出来ればこの花形装飾活字ではお金による取引はイヤだったんだよね。でもやっぱ生活するのに必要だから設置しているけれど、本来はやっぱ文章を書いて送って欲しい。あなたの書く文章はあなたの産んだ価値でもある訳で、他人から渡されたものではない。知らない人の価値を受け取ったところで嬉しくないしね。出来れば本人が作り上げた価値で取引がしたいです。残念ながらボクはお金にはなんの価値を感じていない。何回も書いて申し訳ないが、生活にどうしても必要だから、花形装飾活字との取引という形にしているけれど、花形装飾活字を買ったと思わないで欲しいかも、出来れば、ボクがこの花形装飾活字にかけた時間給だと思ってください。あなたの為にこの時間を尽くしたのだと思ってもらっても結構です。お金がダメなら、文章を書くという動作にかかった時間で相殺してください。お待ちしてます。どうかよろしく。









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