「花形装飾活字」

市立豊中病院 医療情報室医療情報グループ
看護師  染谷 裕

私にとって、花形装飾活字とは、という文章を書けばよいのだということは分かっているが、いまだまとまったものがない。それは今回、職場で業務上の通知文を作成するに当たり、ペーパーなどでよく目にする、あの幾何学的でおそらく活字で作成されているあの美しい模様をデザインで使いたい、という思いからインターネットを検索したのが、私と花形装飾活字との出会いだ。そして、この美しい活字がどうしてもほしいと切望し、無謀にもこの文章を書き始めた。私は、市立病院に勤める看護師だ。あるきっかけで現場を離れ、電子カルテなどを扱う情報部門に移ることになり、広報担当者のウェブデザイナーと共にホームページの作成や院内掲示用のポスターを作製するなどの仕事も行っている。家業である看板屋を手伝ううちに、子供のころからIllustratorやPhotoshopなどを触って、デザインの真似事やロゴ作成を行ったりする機会に恵まれた。それのおかげで、活字の美しさや、線の作り出すデザインに興味を持つようになった。そのような今までの経験から、私自身が花形装飾活字について感じることについて書き綴っていきたいと思う。

 花形装飾活字を見て、初めに感じた疑問について、まずは考えてみたい。私はもともと、花形装飾活字というものの存在を知らなかった。今回、初めてインターネットで検索するにあたって、キーワードを入力する必要があった。おそらく装飾活字だろうという目星はあったので、そのキーワードで検索したところ、このサイトに出会うことができた。私はその時点で活字だという認識を持っていたのだが、一般的に活字は現代的に言えばコンピューター上で利用するフォントと同意語であると認識していた。だから、特定のキーボードのボタンをたたけば、それに相応するフォントが表示されるのだろうと考えていた。装飾フォントを利用するのであれば、まさにその通りといえるが、私のイメージの中にある花形装飾活字のデザインはそのようなものではない。では、いったいどのようにして活字としてあのように美しいデザインを構成するのだろうという疑問が生じた。
 しかし、それに対する答えはいたって簡単なものだ。それは、活版印刷の方法について考えればよいだけだ。短絡的に普段使っているコンピュータのワープロソフトをイメージしてしまっている時点で、その疑問は解消しないのだろう。活字と活字の間には必ず隙間があるという印象を拭い去ることができないのだ。しかし、活版印刷の場合、活字と活字に隙間はなく、ぴったりとくっつけて構成することが可能だ。行間すらもなくして、デザインすることも。1つ1つのパーツを並べて組み合わせていく。ぴったりと並べた時に、デザインがずれてしまわないように、線の位置が揃えられている。そして、組み合わせ方で無限の可能性を持っている。ワープロが文字を書く上で主流になってきて、使えないほどの機能を持っているが、活版印刷だから表現できるぴったりと並んだ感じや、小さなずれは再現できない。Illustratorなどのデザインツールを使えば、当然もっと高度なデザインは可能だが、活版印刷のようなアナログ感を作り出すことは難しい。ただ並べていく、ただ繰り返していくことで生まれるデザイン。文字が並んでいるのとは違う、花形装飾活字だからこそ感じさせる潔いデザイン性がある。  では、いったいなぜこんなにも花形装飾活字は美しいのだろう。直線、曲線。時には特定の造形。それらがシンメトリーに、アシンメトリーに並び、画面に流れを作り出す。デザインには、色を付けたりキャラクターを描いたり、多くの手法があるが、それらはすべて、受け手が感じるために用意された画面(平面だけでなく立体も含むのだろう)に、何らかのものを配置して、何らかの意図を伝えるのだろう。活字もタイポグラフィーとしてのデザインの側面を持つ。花形装飾活字は、活字の中でも特に装飾性が高く、まさにデザインといえる。私自身は文字に対して、とても強いデザイン性を感じる。文字は余白と線が作り出す、もっとも洗練されたデザインの1つだと感じる。花形装飾活字は、文字の持つ美しさを継承しつつ、さらに線の持つ流動性を拡張性を最大限に発揮している。
 線には流動性と拡張性があると書いた。線は画面上で緩やかにも俊敏にも動きを変える。曲線から直線、直角、交差。そしてどこまででも続く、広がっていく。線は自由だ。しかし、花形装飾活字には活字という限界がある。画面が続く限り無限に広がることのできる線も、活字という物理的な限界があるのだ。特定のサイズに凝縮された線。無駄なものをそぎ落とし、限りあるスペースの中で美しく見える余白と線のバランス。1つ1つの花形装飾活字を見ているだけでも、限りなく美しい。その美しい1つ1つの活字を並べていくことで、小さな枠に制限されていた線が、それぞれつながってより大きく広がっていく。花形装飾活字を並べることで、凝縮された線が光を放つように輝くようにすら感じられる。
 花形装飾活字の美しさを考えるうえで、もう1つ必要なファクターは、繰り返しだ。花形装飾活字には特定のパーツしかない。画面に線を描くのであれば、まさに思うがままに自由にデザインを紡ぐことができる。しかし、花形装飾活字でのデザインは、事前に設定されたパーツの中で、組み合わせて繰り返して配置することで構成される。逆を言えば、どれほど美しい花形装飾活字でも、1つのパーツのみを見るだけでは、その本来の美しさを語りつくすことはできない。シンメトリーのパーツやアシンメトリーのパーツを組み合わせていくことで、画面上で縦横無尽にデザインを広げていく。そのバランスを整え、画面の流れを滞らせず美しく流れるように調整することで、花形装飾活字の本来の美しさが発揮されるのだろう。
 特殊な形状の花形装飾活字を含め、花形装飾活字は単純なパーツのほうが美しいと感じる。単純なパーツを積み重ねて、全体の線の流れが美しく流れていれば、単純なパーツのほうが美しく見える。複雑に入り組んだものであっても、その流れが滞っていないということが絶対条件となるだろう。古典的な美しさを求めるのならば、シンメトリーに構成するほうが安定して、格式高く感じる。アシンメトリーに構成すれば、不安定で斬新的にも感じられる。同じパーツを使いながら、表現する手法や技術自体は全く大差はないのに、そこから紡ぎだされるデザインは、作成するデザイナーのセンスを克明に表している。古典的でセオリーな配置を踏襲しながらも、そこにデザイナーの斬新な新しい感性をそこに併せ持つことも可能である。古さの中にまさに輝く新しさを感じることができるだろ。
 花形装飾活字の美しさの最後のファクターは、余白にあるのではないだろうか。活字内の余白ではなく、画面全体を占める余白。花形装飾活字だけにとどまらず、活字、タイポグラフィー全体を通してもいえると考えられるが。今までも繰り返し語ってきたが、花形装飾活字の美しさは余白と線の美しさだ。そして、それらの小さなパーツが合わさって作られる作品を、より美しく輝かせるのは余白の力だ。デザインにおいて余白は重要な要素だと学生時代に教わった記憶がある。書き出される色や線の部分だけでなく、画面全体の余白の存在も含めて、全体をデザインとするんだということだった。まさに配置とバランスである。活字の場合、基本的に考えれば、余白となる画面上に、必要な文字情報を配置して、必要な情報を受け手に伝える。活字自体に特定の意味もしくは音があるため、それだけでも特定の情報を伝えることが可能だ。しかし、デザインとしてのタイポグラフィーでは、さらに余白と活字という素材を利用して、活字の持つ意味や音というものだけでなく、視覚的な感覚や感情などの付加情報を加えて受け手に伝える。文字を文字として認識するには余白に識別しうる境界線で、特定で共有された図形を描画する必要がある。それを受け手が、既存の共有認識から文字と認識して意味や音を認識する。タイポグラフィーには、他のデザインとは違う、特有の共有認識が必要ということになる。そして、それを認識するためには、活字部分と余白部分の確実な分離が必要であるといえるだろう。活字の美しさにあるのは、余白と文字の明確で確実な分離と、徹底的な平面だ。たとえそれを立体造形としたとしても、根底にあるのは確実な平面上の描画だ。果てしなく広く真っ白な余白で埋め尽くされた画面の上に、くっきりと黒く滑らかな線で描かれた活字。そしてそれを美しく装飾する花形装飾活字。まさに極限までそぎ取られた機能的な活字の美しさと、耽美で装飾的なペダントリックな花形装飾活字。
 花形装飾活字は美しい。つらつらと持論を並べ連ねたところで、その美しさを語りつくすことはできない。









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