「僕の印刷とデザイン」

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 月岡正明/Masaaki Tsukioka
1999年学校法人専門学校東洋美術学校、グラフィックデザイン科卒業後
2001年学校法人東洋美術学校視覚伝達デザイン・グラフィックデザイン研究室に
専任講師として着任。在職中、第74回毎日広告デザイン賞第一部優秀賞を受賞。
現在東京デザイナー学院グラフィックデザイン科学科長。

Facebook http://www.facebook.com/masaakitsukioka

Twitter @TDG_Graphic
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日曜日の朝。といっても起床したのは10時過ぎであったが。今日は久しぶりの休暇だ。
私は東京のデザイン学校に勤めている。グラフィックデザイン科の責任者だ。カリキュラムを作り、講師を取りまとめ、ときに自分も授業を行う。いわゆるデザイン教育という現場に身を置いている。

いまは新学期であるから、ここ数週間は多忙を極めた。在校生の新年度スタートに加え新入生の受け入れの準備もある。教育の現場では最も忙しい季節だ。

桜も散り始めた頃、入学式もクラスのミーティングも終わり来週からはいよいよ新入生の研修期間となる。デザインの現場に臨む為の心得を教育する週だ。
毎年卒業生を招き新入生に対して講演会を行っている。これは持論だがデザインを学ぼうとする学生は数多くいるが具体的にデザイナーの仕事を知っているものはないに等しい。そもそもが裏方の仕事であり、普段生活している中ではなかなか知ることのできない物作りの仕事の中では匿名性の高い職業と言える。
私の勤める学校ではマンガ科やイラストレーション科もあり、グラフィックデザイン科とは違い職業のイメージがつきやすくて名もしれているクリエイターがたくさんいる学科が羨ましいと思ったものだ。
そんな思いもあって、新学期には必ず卒業生を呼び仕事の話をしてもらっている。デザインとその仕事をまずは知ってもらおうという意図だ。
今年は若手のデザイナーを二名お呼びしている。残念ながら私が着任する前の卒業生で面識はまだ薄い。更にこの週は卒業生以外にも様々なゲストを招く予定を立てている。

ここでひとつ問題があった。名刺がないのだ。数ヶ月前に切らし、新学期の多忙も手伝って発行の依頼もできていない。さて次週からかならず名刺は必要になるぞとわかっていたことなのだが頭を抱えた。自費で印刷に出すにも時間がない。その時ふと学生時代のことを思い出した。なければ作れば良いのだ。デザインだけでなく印刷も名刺サイズなら容易だ。学生時代散々やっていたことではないか。そんな思いと同時に自分がデザインするということから遠のいていたことにも気が付いた。これは反省せねばならないことだ。そんな思いが頭を駆け巡ったのが先日のことである。私はベットを出て支度をし日曜日の昼も間近となった時間に職場へと向かった。

二時間ほど電車に揺られ職場を目指す。休みの日にたったこれっぽっちの名刺を作りにいく為に往復四時間をかける。なんともバカらしいことだと思えたが、仕事に忙殺されデザインを忘れていた自分にはとても大切なことのように思えた。心なしかウキウキする。自分だけの秘密のミッションだ。
学校につくと、外の明るさとは対象的に暗くしんと静まり返った学内の様子に居心地の良さを感じた。同時にとても違和感をおぼえる不思議な光景だ。普段毎日過ごしている場所だが、いまは誰の気配もなく当然だがなにも稼働していない。時が止まったようなという表現はこういうことを指すのだなと一人思う。
自分のデスクにつきMacを立ち上げる。カバンからは水筒を出し、朝いれて来たミルクティーを口に含む。そしてIllustratorを立ち上げた。
自分がいままで制作したものはフォルダにまとめてある。6年前に作った名刺のデータを探す。階層が深く探すのに難儀したが確かにあった。名刺のデザインが画面に現れるとその当時のことも同時に蘇ってきた。そうだ、この名刺は30歳を機に転職しようとした時にデザインした名刺だ。これを使って就職活動をしたものだ。

今日はとにかく時間がないので、既存の名刺を作り変えることに決める。文字を選択すると使用書体はリョービの本明朝とBenboの二書体のみ。しかしよくみると電話番号だけイタリックになっていたり、住所はオールドスタイルで組まれていたりと中々細かい。肝心の名前は字送りを極端なほどひろげ文字そのものは大きくはないものの名刺の限られた空間の中で確かな存在を主張していた。一文字づつ選択すると、個別に小数点でQ数の調整がされ、1%刻みで長体平体がかけられていた。
当時の自分の意気込みが感じられた。名刺自体は白地にスミの文字がレイアウトされただけのなにげないものだが、そこには確かな熱があった。 細部を研ぎ済まそうとしているデザインだ。しかし細部しか見えていないデザインとも思えた。木をみて森を見ず。木どころか枝や葉や葉の葉脈まで見ようとしているデザイン。この名刺を作って6年が経過しているが今の私は森が見えるようになれただろうか。

様々な思いがよぎるなか、手際良く作らねばならない。いまの自分もこだわり出したら止まらないことを知っているからだ。
大幅に変えることはやめることにした。幸い書体の選択は悪くない。というか、いまだに好みが変わってないだけだろうか。当時にはなかった肩書きを書き加える。あの時に自分が求めた場所にいま到達できているのだろうか。
今回の名刺は公用なので住所や、連絡先を職場のものに置き換える。当然文字組はいちからやり直しだ。しかしそう時間はかからなかった。ほんの少しは目と判断力が成長したのかもしれない。
当時の自分のデザインは規則正しくガイドラインがグリッド状に引かれ、きっちりと規則正しい構成で紙面に配置されていた。しかしいまの自分にはどうにも居心地が悪い。揃えるところは揃えるとして、要所のみ揃えたのちにあえてズラすレイアウトをしてみることにする。置いた場所から数値入力で奇数分ズラす。大きさを変える時もあえて中途半端な数値にする。少し気持ち悪い。それが心地良い。
学校のロゴを入れようと思うがなかなか位置が決まらない。縦組みの名刺に対して横組のロゴなのだ。しかしここもあえてガイドを見ず、適当にぽんっと置くレイアウトを試みる。何度も何度もやり直す。でもきっとここが良い!って思ったらそれは失敗なんだと思い、まあまあのところで決定する。少しくらい意図のないものがあっていい。

ひとまず完成したので出力を行う。職員室備え付けのコピー複合機だ。デザインのチェック。肩書きと学校名を少し大きく、ロゴの位置を一ミリ調整。名字の一字をベースライン調整と赤をいれる。いずれもモニター上では気付けない細かい修正だ。データを修正し、再度出力でデザインをチェック。よし。これを本刷りの為の原稿とするため別ファイルに面付け用のデータを作る。A4サイズに9枚の名刺を面付け、あとで切りやすいよう断ちトンボをつける。名刺用の紙は学校にくる途中の画材屋で購入していた。A4サイズのファインペーパーだ。幸い希望に叶うものがあった。名刺は紙の持つ力が大きく作用する。

学校には輪転機がある。主に学生に配布するプリントを印刷する為に使用されている。大量部数の印刷にはコピー機ではなく輪転機でと決められているのだ。私はこの輪転機というものが好きだ。トナーでもインクジェットでもなく物体であるインクが紙にのる感覚。そのテクスチャーはとても艶やかで温度が感じられるのだ。今回の名刺の印刷は絶対に輪転機と決めていた。文字のみのスミ一色のデザインであるが、コピー機で印刷したものと輪転機で印刷したものとでは、出来上がりにかなりの差異が生じるはずだ。紙にインクがのる。ただそれだけのことだが、とても大切なことなのだ。これは細かいどうでもよいマニアックなことなのであろうか?いや、デザインの性格を左右するとても重要なファクターだと信じている。

さていよいよ名刺の印刷だ。輪転機を前に準備を行う。ひとつ心残りなのが肝心の原稿がコピー機による出力というところだ。細かい文字も多いので若干ジャギーが見えなくもないが今回はいた仕方ない。
輪転機とはいってもコピー機と同様のサイズで無論電動だ。原稿をセットし製版のボタンを押す。コピー機にはない行為だ。機械が稼働し音を立て始める。印刷が始まろうとしている。セットしたコピー用紙が機械に取込まれ試し刷りがされて排出される。ほのかにインクの匂いがする。刷り面はまだインクが乾いていない為触ることができない。製版が完了し紙をセットするが最初の10枚程度はコピー用紙に刷る。印刷の出来が落ち着くよう馴らすためだ。そして本場の印刷。ただの紙が、ただのインクが合わさり定着し、そこにある世界が生まれる。目的を持ってそこに存在する姿となる。刷り上がりの印刷物は取れたての果物のように瑞々しい。思えばデザイナー時代も校正刷りが好きでたまらなかった。
あとは名刺サイズに切る作業を残すのみとなった。作業場へと場所を移し断裁の準備をする。カッターと定規を出し断ちトンボに合わせる。定規は無論背中を使う。カッターを紙に走らせる。それほど力はいれなくとも充分に切れる。繊維が分断されていく感触を確かめながらトンボからトンボへとカッターを誘導する。定規を抑える方の手に力が入る。一枚また一枚と名刺が名刺の顔を見せ始める。しかしここで完成ではない。名刺サイズへと切り落とされた紙の切り口には、断裁したことで細かいシワが寄りエッジが平坦ではなくなっている。繊維が強制的に切り離されたことによる反動でそうなる。気にしない人は多いのだろうが、よく見れば見た目もあまりよろしくない。いつのころからだろう、私は必ず切り落としたあと金属製のヘラやスプーンなどでこのエッジを慣らすことにしている。学生時代に身についた小技がいまも体に染み付き自然と繰り返しているのだ。

ほどなくして名刺は完成した。文字だけのなにげない名刺だ。案の定、コピー出力を原稿にしたことで、文字のフォルムにジャギーがかかり少し残念ではある。しかしこの名刺だけが持つ独特の佇まいがそこにはある。これはデザインの完成度を指しているわけではない。ましてや自分のデザインの自画自賛しているものでもない。
細かい修正を経てそれぞれの最適な居場所を見つけた文字の集合体や、その文字が居心地良く存在する紙のテクスチャー、文字と紙をつなげ、目的を持った存在になる為に大きな役割を果たすインク、これら何気ない一つひとつのことが組み合わさりこの名刺だけの佇まいを形成しているのだ。言葉を変えれば存在感や、性格ともいえるだろう。
デザインとは数多くの選択肢を経て形成される集合の美である。一個人が休日になにげなく作る名刺でさえそうなのだ。
細かなことをこれでもかと積み重ね、トライとエラーを繰り返しながらもナリを形成していくという職能もデザインと印刷のいち側面であるといえるだろう。
完成した名刺を数分眺め、名刺入れにしまい、学校をあとにする。今日は休日なので残りの時間は家族とすごそうと思いながら帰路についた。









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