「印刷とデザインを考える」

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グラフィックデザイナー 梶川遥
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 デザインって一体なんだろうか。 その定義はなんだろうか。 「情報を可視化する事だ」という人もいれば、「仕組みをつくる事だ」という人もいる。解釈は人それぞれだし、状況や関わり方によっても変わる。 「印刷とデザイン」をテーマに文章を書き起こすとして、ここでは仮に、「デザインする」という行為が「案をだし、制作したものを印刷して紙にのせ、それが人の手に渡り、どんな反応に繋げるかまで考える事」を指すと定義しようと思う。

 そう定義した時に、私がこの事を意識するきっかけになった作品がある。 大学3年生の時に制作した、真っ白な本だ。 全100ページの、全てメジウムインクで刷られた本。 当時、ほとんど美術の勉強をしないまま大学に入学した私は、「自分にはセンスもないし、デザイナーなんて向いていないのかも」という劣等感を抱えていた。 美大特有の課題に追われる日々だったが、いつも作る物に悔しさを残していた。 それから抜け出したくて、自分のやりたい事、得意な事を見つけたくて、たくさんのアートプロジェクトに参加したし、パペットアニメーションの制作に携わらせてもらったりもした。ねぶたも作った。 イエスマンであろうと、声をかけられれば引き受けたし、少しでも興味が湧いたら制作に携わらせてもらっていた。 その中の一環で、他の人にはない技術を得ようと、個人的にシルクスクリーンを学んだりもしていた。掴みだけ、スクーリングと言う、外部向けに公開している講座に申し込んで学び、あとはひたすら印刷工房に通い詰め、一日中シルクを刷った。独学に近く、おそらく変な刷り方もしていたが、最終的には、シルクの事ならこの子に聞けば…と相談を受ける位には刷れる様になった。

 常々、なんとかしてその技術を活かせないかと考えていたところに、「ワンコンセプトブックを作る」という課題が舞い込んできたのだ。 そこで、シルクスクリーンならではの印刷表現で、本を制作することにした。 メジウムインクと言う、透明なインクで、本来はインクに混ぜてインクの透明度をあげたり、金粉や銀粉などの固形物と合わせて使ったりするインク。 このインクで真っ白な本のページ全面に余す所なく手形を印刷した。それがページをめくるごとに、少しずつ減っていく。本当に少しずつ、少しずつ、100ページをかけて減っていき、最後にたった1つの手形を残して終わる。 確かに印刷がされているのに、余すところなくページ全面に印刷されている為、手に取る人たちはそれが印刷だと気づかない。紙だと認識するのだ。でも、ページをめくり、印刷範囲が減る事で、紙が見え始めると、その変化を意識する。そして、ある時にふと気づく。「これは、一面に何かが印刷されているんだ」と。 そこからは確認作業の様に、ページをめくり、印刷された物がなにかをおっていく。何度も何度も本を傾けたり、ページを行ったり来たりしながら。 脳は、不思議な事に、確かに視界に捉えているのに、意識する事が出来ないと見る事が出来ないのだ。人の視覚認識が、いかにてきとうなものか実感した。 その事が凄く面白いと感じ、いわゆるそのアハ体験を形にした。 余談だが、見えないのに確かに存在している「指紋」が、「メジウムインクでの印刷」とリンクしたから採用したとはいえ、手形だらけの本は、今考えるとホラー映画さながら、気持ち悪い本だとは思う。 この作品によって、インクが紙にのった時の事、人の手に渡った時の事を強く意識する様になった。おそらくこれが認識されやすい印刷ならば、加工ならば、紙の種類や表現の仕方が違ったならば、全然違う作品になっていたと思うし、狙いは成功しなかったと思う。 当時は、イラストから文章から、印刷から、写真の撮影、時には製本までを全て自分で行っていたこともあり、この作品制作からは、印刷する紙の事、印刷の手法、あがりの状態も、同様に意識していくようになった。 まだ、「受け取った人にどうしてもらいたい」や「誰の為に作り、何を伝え、どうしていきたいのか」については、この時点では考えが浅かったとも思う。

 デザイン会社に就職し、デザイナーとして働く様になって、デザインにおける印刷の重要性をこれまで以上に意識する様になった。 幸か不幸か、新人の頃から企画、デザイン、入稿、納品までを行っていたため、ある程度してからは、印刷所の指定から提案する事が出来るようになった。 予算の事もあり、なかなか実際にお願い出来る事は少なかった。 それでも、日常的に調べていれば、知識があれば、いざチャンスがきた時に提案が出来る。 そう考えた。 同時に、クライアントについて、考える事が増えていった。私は、この業界のあり方までは考えられていない。それでも、「依頼主の悩みや思い、狙いを形にするためにはどんな方法が良いのか」「数年後、どうあって欲しいのか、その為には自分には今何が出来るか」を意識しないといけないと考える様にもなった。 学生時代のデザインへの取り組み方と比べて、大きく変化したのがこの部分だと思う。 クライアントの代わりに、狙いを形にする。 デザイナーはクライアントの代わりに制作をするのだと思う。 デザイナーは黒子だという人もいる。まさにだと思う。それでも、個性は出てしまう。 でも、そんなデザイナーを名乗る私は、印刷や加工について、実はそんなに知識がないのが現状であったりする。恥かしながら、勉強すればする程、その事を痛感した。 シルクスクリーン印刷や銅版は、自分がやっていたので、どんなデータを起こせばよいか、製版の仕方からどんな印刷表現が出来るかなどなんとなくは理解していた。 だが、日常的に1番使っていた、オフセット印刷の仕組みを知らなかった。印刷所に入稿した後、具体的にどんな流れを経て納品されるのか、見た事がなかった。 どんな印刷表現の可能性があるのか、どうすれば失敗が起きにくいデータになるのか、きちんと理解していない事を痛感した。

 デザイナーになって、2年目にしてようやく初めて、ハイデルベルクの10色機を見た。 箔押しが実際にどんな機械で、どんな風に加工されているのか、初めて見て、知った。 印刷や加工をお願いするばかりで、その実どんな風に、どれ位の人が関わって、どんな工程を経て印刷、納品されるのか知らなかった。 全然知識が足りない。経験もまだまだ足りない。もちろん、そうじゃないデザイナーもたくさんいる。 自分がとても恥ずかしくなったりした。印刷によって、加工によって、再現性や紙の選び方によって、どれだけクライアントの狙いを形にしたところで、失敗する事がある。それをしない為、少しでも、良いものに仕上げる為、デザイナーを名乗る以上、印刷や加工の事を知らなければならないと感じた。 昔ならば、製版屋さんにお願いし、専門の方々がやっていた事を、現代ではデザイナーが行ったりする。DTPの登場で、誰もがデザイナーを名乗れる様になった反面、デザイナーが学ばなければならない領域も増えたのだと思う。でも、恐ろしい事に、知識がなくても、物が作れてしまう時代でもあるのだ。 私も、誰もが名乗れるデザイナーの1人に過ぎない。 それでもやっぱり、デザイナーを名乗る以上は、最低限の知識は身につけたいと切に思う。

 もっと自分に引きつけて考えると、印刷や加工について、きちんと知識をつけなければ、提案の幅も狭まり、本当はもっとマストなやり方があるにも関わらず気づけない様に思う。コストも、方法を変えればもっと抑えることも出来るかもしれない。 同様に、印刷をお願いする際に、それにかかる労力や、技術力、尊ぶべき点も認識する様になり、無茶な金額提示、納期提示をしなくなるとも思う。 実際に、印刷所や加工会社に連絡をして工場見学をお願いし、現場を知り、知識をもらう中でたくさんの可能性が広がったと思う。 一般的には多く知られていない、紙の特性や、印刷方法を知った。 新たに様々な技法が生み出されている事も知った。 知識は更新し続けないといけないと感じた。 だが、これは逆を言えば、知識を深める事によって、技術や現場を知る事によって、もっともっとデザインの可能性が広げられると言う事だと思う。 これは、グラフィックデザインにフォーカスを当てて考えている為、他の分野ではまた違うとは思う。

 私が今後もグラフィックデザイナーを名乗る以上、紙ものをデザインしていく以上は、最低限印刷の知識や経験を身につけなければならないと感じた。 なぜなら、印刷はデザインする行為の中の切っても切り離せない一部であり、デザイナーはデザインに向き合う人だと思うから。 私にはたかだか数年の知識と経験しかない。 もちろん、数年後にはまた違った見え方、感じ方をしているかもしれない。 何を勘違いしているんだ、と笑われてしまうかもしれない。 それでも、その都度向き合っていきたいと思う。

 あくまでも今の時点の私の見解ではあるが、私は「印刷とデザイン」についてこのように考える。 これから、もっともっと向きあっていきたいと思う。









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